鏡影劇場
著 者:逢坂剛
出版社:新潮社
ISBN13:978-4-10-364907-6

ホフマンの伝記の語り直しの醍醐味

ナポレオン戦争時代の文学や音楽の諸相が浮かび上がる

小谷野敦 / 作家・比較文学者
週刊読書人2020年10月23日号


 私は高校二年の時、クラシック音楽の魅力に開眼し、それまで文学作品を耽読してきたのが、何か文学と音楽をつなぐ作家はいないかと考えて、「くるみ割り人形」や「コッペリア」の原作者で、自身も音楽家だったドイツ・ロマン派のE・T・A・ホフマンの『黄金の壺』を読んだことがある。当時、ホフマンの文庫版はこれしかなかったので、岩波文庫と旺文社文庫と両方読んでしまった。旺文社のほうには、「コッペリア」の原作の「砂男」も入っていた。大学では幻想文学の授業で『悪魔の霊薬』も読み、以後おりに触れてホフマンを読んできた。

 逢坂剛の大長編新作は、そのホフマンの生涯を中心とし、四十歳くらいの、ドイツ文学の女性准教授・古閑沙帆とその友人で大学の卒論にホフマンを扱った倉石麻里奈、七十歳くらいのドイツ文学者・本間鋭太、麻里奈の夫のギタリスト・倉石学と娘で中一の由梨亜らの関係者と、ホフマン自身の人生とが複雑にからみあう意欲作だ。しかもその原稿自体が、誰とも知らぬ人物から逢坂に送られてきたものだという、小説にしばしばある形式をとっており、最後の六十七頁が袋綴じになっているという凝りようである。

 物語全体は、誰とも知れない人物がホフマンの行動を、ホフマンの妻に知らせる形で書いたドイツ語の亀甲文字の文書を、倉石学がマドリッドの古書店で発見し、裏に記された楽譜目当てで手に入れ、帰国後、妻と友人がドイツ語らしいその文書の解読を母校の教授だった本間に依頼し、老教授が解読するという形で進んでいく。ホフマンの伝記は、本書中で盛んに言及されるドイツ文学者・吉田六郎のものがある。吉田はホフマンの『牡猫ムルの人生観』が、夏目漱石の『吾輩は猫である』に影響を与えたかどうかについても考察しており、ホフマンの作品は幻想小説だが、ホフマンの人生が投影された私小説だとも言っていた(「読売新聞」一九七一年六月十六日)。実際本書でも、ホフマンがユリアという美少女に肩入れしていくさまが描かれ、本間が由梨亜に会いたがるのも美少女趣味ではないかと疑われたりする。さらに、倉石学の母が施設に入っていて、見舞いに来た麻里奈に「ハト」という謎の暴言を吐き、そこから因縁の糸が広がっていく。

 本書の醍醐味は、まさにそのホフマンの伝記の語り直しにこそある。作中に出てくる執筆者不明の文書に書かれている行動はフィクションだろうが、それに本間が注釈を加えることで、十八世紀から十九世紀にかけて、ナポレオン戦争時代の文学や音楽の諸相が浮かび上がってくる。文壇にはゲーテが君臨し、クライストらのロマン派を嫌っている。そのことをホフマンとともに語ったクライストは、人妻と心中してしまい、モーツァルトにあやかって名前の一部をアマデウスにしたホフマンは、ベートーヴェンの価値をいち早く発見した音楽批評家であり作曲家であって、「魔弾の射手」のマリア・フォン・ヴェーバーも登場する。謎の文書は途中で終わるが、実は本間家にはその続きが代々伝わっており、これはシーボルトが江戸にいたビュルガーに送ってきた中にあって、医家の本間家に伝わったのではないかという虚実入り混じった推理もなされる。私は間宮林蔵について書いたことがあるので、このあたりもどきどきした。というのは、林蔵が高橋景保を密告したとか、そのため林蔵はのち密偵になったとかいうことが言われているからだが、ここでは林蔵についての説明が正確だったので安堵した。不思議なことにこの小説は、ホフマン、間宮林蔵など、私が関心を持ったことのあるものばかり出てくるので、途中で、これは自分のために書かれた小説ではあるまいかという幻覚にさえ陥るほどだった。

 逢坂といえば、スペインのギターに造詣が深く、時代劇から西部劇まで書き、日本と西洋の文化に博識だが、ドイツ・ロマン派への関心は、一九八七年に「ペンテジレアの叫び」を書いた昔からのもので、ホフマンに関して徹底調査し、そのノートを開陳したという趣きがあって楽しく読めた。なお作中に割と大きく出てくる、ヴィルヘルミナ・デフリエント作とされるポルノ『ある歌姫の思い出』は、大正期に秦豊吉がドイツで遭遇し(『好色独逸女』という著書に紹介されている)、一時帰国して当時阪神間の岡本にいた谷崎潤一郎に話したことから『卍』のネタ元になったものだろうと私は推定している。ところで最後のほうに謝辞があって、早稲田大学の松永美穂にお世話になった、とあるのだが、これは逢坂に送られてきた草稿のほうにあるもので、一瞬ミスかと思ったが、これも仕掛けなのだろう。(こやの・あつし=作家・比較文学者)

★おうさか・ごう
=広告代理店勤務のかたわら、一九八〇年「暗殺者グラナダに死す」でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。一九八七年『カディスの赤い星』で直木賞、日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞の三冠に輝く。他日本ミステリー文学大賞、吉川英治文学賞、毎日芸術賞受賞。近著に『百舌落とし』『最果ての決闘者』など。一九四三年生。