歪んだ正義 「普通の人」がなぜ過激化するのか
著 者:大治朋子
出版社:毎日新聞出版
ISBN13:978-4-620-32638-2

社会心理学的視角で個人によるテロを検証する

社会的な矛盾や不正を根幹に個人の過激化は進むのか

金惠京 / 日本大学危機管理学部准教授・国際法学・テロリズム・日韓外交
週刊読書人2020年10月30日号


 本書はテロ等の殺傷事件の過激化に注目したジャーナリストである著者が、イスラエルの大学院での研究成果として書き上げたものである。特に、「普通の人がなぜ過激化するのか」という点を注視しており、一般人がローンウルフ(一匹狼)型のテロを行うに至るプロセスを主に社会心理学的視角をもって検証している。

 本書の構成としては、第一章で二〇一五年から一年ほど続いたパレスチナの若者によるローンウルフ型のユダヤ人襲撃事件に着目する。近年の事例では治安当局者を対象としているため射殺されることも少なくないが、若者は「英雄としての死」を選ぶという。

 第二章では、イスラム国の元戦闘員への取材を軸に「彼らがなぜ自ら戦闘に参加したのか」を分析している。彼らの多くはネット上の動画や同胞の窮状についての情報を入口としているが、自らに残る人間性から組織を離反する者もいる。

 第三章では、ローンウルフによる襲撃手法や特性の変遷を解説している。命を失うことの多い近年のローンウルフ型のテロと一九八〇年代から増加した自爆テロは、共に「殉教者」としての行為と見なされ易い。しかし、前者は個人的な動機を抱え、後者は所属する組織への忠誠心を中心とする傾向がある。また近年のローンウルフの場合、ネット上における予告行動も特徴として挙げられている。

 第四章では、著者作成のローンウルフの過激化プロセスを五段階で示している。それは①私的な苦悩の中で政治的・社会的不正義に憤り、自分の望む情報を集める「確証バイアス」や自分と対立する情報を軽視する「認知的不協和理論」に基づく思い込みの強化、②自らの志向に合った共感できる物語の取り込みや創作、③善悪二元論的思考を強め、外集団を非人間と見なす過激化の進行、④承認欲求を満たし、攻撃を肯定するプロパガンダとしての犯行予告、⑤個人的喪失感や「死」を喚起させる情報の蔓延による恐怖から逃れるための過激な攻撃、である。

 第五章では、普通の人がいかに過激化プロセスに足を踏み入れるのかを検証している。人は強いストレスに苛まれた場合、自らの物理的資産、社会的地位、知識、世界観、社会的支援等により精神的均衡を保とうとする。しかし、肯定要因が少ない立場に置かれた人は過激化プロセスに入り易く、そこでは遺伝的要因、社会的要因や性差、個人の性格、家族要因が大きく影響するという。

 第六章では日本における、コロナ禍での「自粛警察」の動向、相模原障害者殺傷事件、秋葉原トラック暴走事件等を過激化メカニズムを通じて検証している。最後の第七章では、過激化メカニズムに陥らない、あるいは離反するための各種事例を著者の取材を軸に紹介している。

 後半はやや研究対象が散漫になりがちではあるものの、それは著者がテロの定義に「感情的目標」との要素を加えたことや、ジャーナリストとして情報収集を重視する姿勢が影響しているといえよう。

 評者を含めたテロ対策の研究者や関係者の多くが、組織に属する自爆テロとローンウルフ型のテロを区別してこなかった。しかし、個人によるテロという面から考えれば、個々の心理に着目することは重要である。この点は本書の研究上の大きな貢献である。

 そして、その貢献は単にテロに止まらない。評者は法によるテロ規制に加え、日韓の外交についても研究している。近年、日韓関係は対立を深めているが、評者はかつて日本のメディアについて、①韓国国内で保守とリベラルの対立が起きた場合、日本政府の立場に近い保守派の主張のみを取り上げる姿勢を確証バイアスとして、②日本の若者が韓国への共感を高めながらも、大手メディアがその事実を殆ど扱わず、韓国への批判のみを掲げ続ける姿勢を認知的不協和理論との関係で語ったことがある。そして、日本では評者を含め、韓国の事情を肯定的に説明しただけで、心ない言葉や圧力、時には殺害の示唆すら行われることがある。社会的な矛盾や不正を根幹として、個人の過激化が進むとするならば、著者の意図を超えて本書が示唆するところは大きい。(キム・ヘギョン=日本大学危機管理学部准教授・国際法学・テロリズム・日韓外交)

★おおじ・ともこ
=毎日新聞編集委員。東京本社社会部、ワシントン特派員、エルサレム特派員を歴任。社会部時代の調査報道で新聞協会賞を受賞。二〇一〇年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『勝てないアメリカ 「対テロ戦争」の日常』『アメリカ・メディア・ウォーズ ジャーナリズムの現在地』など。