「地方」と「努力」の現代史 アイドルホースと戦後日本
著 者:石岡学
出版社:青土社
ISBN13:978-4-7917-7289-6

“アイドル”ホースもまた“偶像”か

図書館発!こんな本が面白い【書評提供:図書館流通センター(TRC)】

菅原脩矢 / TRC仕入部
週刊読書人2020年11月6日号


「オ・グ・リ!オ・グ・リ!」1990年有馬記念。私はそのレースを生で見たわけではないし、テレビで見ていたわけでもない。しかし、あの伝説のレースとその後のコールを聞けば、何度でも涙腺が緩む。それが〝アイドル〟ホースの持つ力だと、本書を読むまでは思っていた。

 さて、皆さんにはアイドルホースと言われて想像する競走馬はいるだろうか。競馬ファンなら徹夜できるテーマではあるが、本書で取り上げられる馬は、「ハイセイコー」そして「オグリキャップ」である。私は競馬が大好きなのだが、まだ24歳なので彼らが現役のころは生まれてすらいない。しかし、彼らの活躍は良く知っている。アイドルホースの名に恥じず、今でも様々なメディアで取り上げられ、競馬オジサマの語りに登場し、その活躍をまとめた動画なども数多く存在しているからだ。そしてそれらの語りのほとんどに共通していることが、地方から這い上がってきた雑草の彼らが、中央(都会)にやってきてエリートをなぎ倒す「立身出世」の物語として語られているということである。この物語に違和感を持つ人は少ないのではないかと思う。しかし、このように人気を「立身出世物語」に求める構図は、彼らの現役時代には主流ではなかったというのだ。むしろ、それらは回顧的な語りの中で、強化・再生産されてきたものであると著者は語る。確かに、地方競馬出身で中央競馬に移籍してきて活躍した馬は何もこの二頭だけではない。例えば「オグリキャップ」「スーパークリーク」とともに平成三強と呼ばれた「イナリワン」も地方出身だし、「トロットサンダー」や「トウカイポイント」も地方出身で中央のGⅠを制している。しかし、読者の何割が彼らの名前を知っているだろうか。つまり、地方出身で活躍したという事実だけでは爆発的な人気の要素にはなりえないのである。では、どんな要素が絡み合い、彼らはアイドルホースと呼ばれるに至ったのか。そしてなぜ、客観的事実かどうかは問われずに、「立身出世」という収まりのいい物語が定説として後世に伝えられているのか。本書ではこれらの謎を当時の社会情勢を踏まえつつ、同時代の言説や回顧的な資料を大量に引用し、丁寧かつ説得力をもって紐解いてくれる。

 本書ではもう一頭アイドルホースとして紹介される馬がいるが、彼女はオグリやハイセイコーとは真逆と言って良いかもしれない。そう「ハルウララ」である。彼女の戦績はなんと113戦0勝。競馬の世界において一勝もできない馬は珍しい訳ではないが、残念ながら彼らの未来は明るいとは言えない。考えてみれば、一競馬ファンとしても何故ハルウララがオグリ達に名を連ねるアイドルホースになれたのかは謎なのである。本書を読めばこの謎もスッキリすることだろう。

 最初から最後まで競馬ファンの語りで書いてしまったが、本書はもちろん競馬を全く知らずとも社会学の観点から非常に興味深く、おもしろい一冊であることを明記しておく。