雪国を江戸で読む 近世出版文化と『北越雪譜』
著 者:森山武
出版社:東京堂出版
ISBN13:978-4-490-21032-3

本、営みの結晶

図書館発!こんな本が面白い【書評提供:図書館流通センター(TRC)】

藤澤恵美子 / TRCデータ部
週刊読書人2020年11月6日号


 本書の主役は『北越雪譜』という雪国の風俗を綴った随筆集である。編まれたのは江戸時代後期。作者は越後・塩沢の豪商、鈴木牧之。この本が主役となったのには理由がある。牧之が書き貯めてきた雪国話を送り、江戸で出版できないかと打診したのは当代きっての売れっ子・山東京伝。その後も曲亭馬琴ら著名人が次々手を挙げては中断を繰り返す。最終的に京伝の弟・山東京山と組み出版にこぎつけたが、それまでに要した時間はなんと40年。日本出版文化史上、最も複雑な経緯を辿った刊本のひとつだという。そして、その間に文人たちとやりとりした手紙が多数残されている。この生々しい文通記録こそが『北越雪譜』に近世出版文化研究における特別な地位を与えている。

 著者は多くの史料を読み解き、丹念に論を組み立てていく。なぜ「雪の本」なのか?なぜ中央の作家たちの心を捉えたのか?なぜ地方の文芸愛好家・牧之が有名人とコンタクトをとれたのか?出版までの40年間に何があったのか?プロ作家たちは牧之にどんな出版戦略を授けたのか?まずは都人のための「外つ国(辺境地)」を綴る本の歴史の中に『北越雪譜』を位置づけ、牧之を育んだ地方の文化的背景、近世出版の現場へと筆は進む。明快な論の一方、「南総里見八犬伝」中に牧之の紹介が折り込まれた、馬琴の小説に牧之が仲人役で登場した、などのゴシップ的な細部も面白い。本を売るためなら何でもありの、出版界の猥雑さが伝わってくる。

 晴れて刊行された『北越雪譜』は発売後すぐにベストセラーとなり、のちには岩波文庫にも収録され71刷を数えている。雪の状態変化など科学的考察にも優れた、地方文人の力量を示す本と評されることも多い。だが著者は、この本は牧之と京山、そして江戸の本づくり職業人による全くの共同創作物と結論づけている。知的欲求が高まり「地方」という「外つ国」の情報を求める江戸、そこに響く企画を出版しベストセラーにしたい人々の思惑、さらには文芸トレンドやそれを包み込む社会の変遷の中で、数多くの偶然が重なった末に誕生した特異な本であると。どこかでボタンを掛け違えたらまったく違う本であったか、出版されなかった可能性もあったと。

 本書の終章に面白い記述がある。新潟出身の著者は長くオーストラリアの大学に奉職。当地からオンライン古典籍の数々にアクセスして本書の案を練ったのだという。真夏のパースで思う、江戸時代の雪国。本は時と場所を超えた人の営為の結節点、といった言葉が思い浮かぶ。多くの人の思惑、社会の風向き、様々なものを通り抜けて世に産み落とされる本。それは雪の結晶のように純粋無垢ではないかもしれないが、次の人の営みを呼ぶ、時の中の大きな結び目であると思う。