基地の消長 1968―1973
著 者:川名晋史
出版社:勁草書房
ISBN13:978-4-326-30290-1

米軍基地再編計画を生み出した
安保体制の巧妙な歴史

大野光明 / 滋賀県立大学准教授・歴史社会学・社会運動史研究
週刊読書人2020年11月13日号


 一九六〇年代後半から七〇年代初頭にかけて、日本「本土」にあった米軍基地の再編計画がまとめられ、多くの基地の閉鎖・返還が進められた。この政策がなぜ、どのように決定されたのか。堅実な史料分析と理論的考察からそれを明らかにしたのが本書である。

 著者が起点としたのは一九六八年である。この年、日本では佐世保での米軍原子力空母エンタープライズの入港阻止闘争、九州大学での米軍機ファントム墜落事故と板付飛行場撤去運動、米軍・王子野戦病院の撤去闘争など、ベトナム戦争反対の世論と結びついた反基地運動が各地で激しく展開された。

 このようななか、アメリカ政府は「財政の効率化と基地の長期的安定化」(二〇八頁)のため在日米軍基地の再編計画をまとめていった。本書は、国防総省、国務省、在日米軍、駐日米国大使館、国家安全保障会議(NSC)、連邦議会といったアクターが、それぞれの利害関心と組織防衛の観点から主張し、アクター間での綱引きや妥協、調整をくりかえし、大きな政策決定をつくりだした歴史を見事に整理している。また、米国の安全保障戦略の変化、予算的な制約、そして、日本における基地への政治的受容性がこの決定の主要因であることが理論的に示されている。

 こうして一九七三年の「関東計画」の合意によって基地再編計画は確定した。東京、神奈川、福岡などの都市部にあった米軍基地の数は大幅に減った。特に関東平野に所在する七つの基地(立川、大和、水戸射爆場など)は返還された。だが、その一方で、沖縄への基地の集中が進んだ。日本政府は極東の「力の空白」が生まれることを恐れ、当初検討されていたアメリカ本土やグアムへの基地移転は撤回された。その結果、基地の一部を新たな「収納先(repository)」である沖縄へと移すことが決まったのだ。

 反基地運動は基地再編計画に大きな影響を与えていた。だが、日米両政府は運動の力を沖縄への基地集中へと結びつけた。私たちは基地問題を考えるにあたって、安保体制の巧妙さを直視する必要がある。体制は、連帯可能な人びとの間に対立や分断をもちこむのである。

 最後に本書への疑問についても記したい。沖縄では一九六八年のB52の常駐化や墜落事故などを背景に、基地撤去要求が大衆化していた。政治的受容性は福岡や東京などと並んで、あるいはそれ以上に低かった。だが、沖縄への基地機能の移転や強化が進んだ。それはなぜ可能となったのか。これを正面から検証することが待たれている。

 また、関東計画の合意をもって「戦後の日米関係を揺るがし続けた日本本土の基地問題はこのときを境に沈静化の一途を辿る」(二〇三頁)との結論には、一定の留保が必要だ。その後も基地と隣あわせに生きる人びとにとって、また、地域史や社会運動史の研究者にとっては首肯しがたい。「沈静化」の要因も関東計画だけでなく、より多面的な検討が必要であるだろう。本書の豊かな成果を、多くの研究者や運動当事者による共同作業によって深めていくことが必要だ。(おおの・みつあき=滋賀県立大学准教授・歴史社会学・社会運動史研究)

★かわな・しんじ
=東京工業大学准教授。博士(国際政治学)。青山学院大学大学院博士後期課程修了。著書に『基地の政治学』など。一九七九年生。