誓願
著 者:マーガレット・アトウッド
出版社:早川書房
ISBN13:978-4-7791-2628-4

ディストピアをどう生き延びるか

パッチワークタペストリーのように綴られる三人の女性の言葉

出口菜摘 / 京都府立大学文学部教授・アメリカ文学・英米詩
週刊読書人2020年11月20日号


 マーガレット・アトウッドの『誓願』は、一九八五年に発表されたディストピア小説『侍女の物語』の続編にあたる。舞台はキリスト教原理主義を掲げる独裁政権のギレアデ共和国。ここでは国家を継続させるため、効率的な管理方法として、分断と格差による統治が行われている。成人した女性は四つの階層に分類され、相互に監視し、ときに憎み合う。子どもを産む「道具」である〈侍女〉、司令官家庭の女中〈マーサ〉、司令官や平民男性の〈妻〉、そして女性たちを統率管理する〈小母〉。『誓願』で描かれる分断のシステムはフィクションの領域に留まらず、対立構造を過剰に煽る現実社会を思い起こさせる。アトウッド自身がインタビューで語るように、アメリカを含めて世界各国が「ギレアデ」に戻りつつある。しかし同時に、このディストピアをどうやって生き延びるかという切迫した問題に、『誓願』はひとつの解を差しだしてくれる。

〈侍女〉であるオブフレッドが語る『侍女の物語』は、重苦しい空気に包まれていた。一方、『誓願』には霧がはれていくような感覚がある。その大きな理由は、本作が三人の女性の言葉で構成されていることによる。ギレアデの女性統制機関=アルドゥア・ホールの権力者リディア小母は手記を残し、司令官の養女アグネス、そしてカナダで育った一六歳のデイジーの言葉は、「証人の供述」として書き起こされる。立場の異なる三人の語りが、パッチワークタペストリーのように綴られることで、ギレアデ共和国の異様さと、そこに生きる彼女たちの想いが浮かびあがる。特に、リディア小母の語りに圧倒される読者は多いだろう。裁判官であったリディアが、いかにして冷酷非道な小母になったのか。なぜアルドゥア・ホールに図書館を作ったのか。彼女が明らかにするギレアデの組織系統、権力層内部の腐敗に震え、語りと共に進行する共和国の崩壊に胸がすく。

 また、成育環境や年齢が隔たる女性たちが立体的に描かれることで、シスターフッドのテーマが前景化される。アグネスと同級生ベッカが育む友情、デイジーとアグネスの手に汗握る脱出劇は、彼女たちの連帯を強く印象付ける。しかし、『誓願』が提示するのは、しっかりと繫がれた手だけではなく、ともすれば切れてしまいそうな繫がりだ。第二波フェミニズム運動から生まれたシスターフッドの概念は、被抑圧者として女性同士の連帯を求めるものだが、「女性」という大きな枠組みに、人種や民族、階級などの違いを覆い隠してしまった側面がある。アトウッドは、同性間に残る抑圧構造のなかで、かき消されかねない声を掬いあげ、ひとつひとつをつなぎ留める。そのような連帯のあり方は、糸のモチーフとして、巧みに作品のなかに縫い込まれており、たとえば、〈小母〉〈マーサ〉〈妻〉のあいだを、「見えないクモの糸を伝うように」情報が流れていく(三二五)。また、真珠のネックレスの糸のように、リディア小母の機密情報は、ギレアデの布教活動を行う〈真珠女子〉を通じて、カナダの地下組織〈メーデー〉へと送られる。

 作中でリディア小母とメーデーの一員となったオブフレッドとの関わりが暗示されるが、なにより胸をつくのは、『誓願』と『侍女の物語』に張られた透明な糸だろう。前作の語り手オブフレッドと本作のリディア小母は、「呼びかけ」という行為を介し、同相性をなしている。『誓願』で、リディア小母は「わが読者よ」と繰り返す。「見知らぬ読者よ。あなたがいまこれを読んでいるなら、この手記は少なくとも失われずにすんだということだ。(略)もしかしたら、だれにも読まれないかもしれない。壁に向かって話しているようなものかもしれないのだ。」(十一-十二)『侍女の物語』のなかで、オブフレッドも同様に、見たことのない「あなた」へ語りかけていた。ギレアデという家父長制社会のなかでは、敵対させられる〈小母〉と〈侍女〉の二人だが、両者とも、誰かに言葉が届くかもしれないという可能性に、自分の存在を賭けている。その誰かが、読者であることは言うまでもなく、彼女たちに呼びかけられることで、連帯が作品の外で紡がれはじめる。糸は見えなくとも、目的を同じくする者が手にしたとき、導火線となり、破壊されるべきものを正しく爆破する。

 リディア小母が、自分の記録を「無煙火薬の束」(四四四)と呼ぶように、『誓願』では、言葉が武器になる。その意味で、本作の根底には、言葉に対するアトウッドの揺るぎない信念があるといえる。思いだされるのは、彼女の詩集『パワー・ポリティクス』(一九七一年、未邦訳)の一節である。「拳は語るなど煩わしいことをせず/なにができるか知っている。//握りつけて打ちつける。//拳の中から下から/言葉が歯磨き粉のごとく溢れ出る。//締めつける拳が物語るのは/言語は弱き人々のためにあること。」アトウッドの描く世界が、暗澹としたものであっても、そこに微かな光を感じるのは、彼女の言葉が「拳」ではなく「弱き人々」の側にあるからだろう。リディア小母の声は、世に出された『誓願』について語っているかのように響く。「無事に飛んでいきなさい、わたしの伝令よ、わたしの白銀の鳩よ、わたしの破壊の天使たちよ。そして、無事の着地を。」(五四九-五五〇)。『誓願』は、無事にわたしたちの手元に届けられた。(鴻巣友季子訳)(でぐち・なつみ=京都府立大学文学部教授・アメリカ文学・英米詩)

★マーガレット・アトウッド
=カナダを代表する作家。著書に『侍女の物語』『サークル・ゲーム』『獄中シェイクスピア劇団』など。一九三九年生。