われもまた天に
著 者:古井由吉
出版社:新潮社
ISBN13:978-4-10-319212-1

この《手仕事》の源泉

祖先たちに起こった厄災を我身内に負う決意

築地正明 / 立教大学、武蔵野美術大学ほか講師・映像論・造形批評
週刊読書人2020年11月20日号


 古井由吉の遺作となる短篇集がこの秋上梓された。エッセイと小説の境界を縫うような、およそ前例のない文学の言葉が、氏の手によって半世紀以上にわたり原稿用紙に刻みこまれてきた。その最後の言葉がこの小さな本として、われわれに残されたわけだが、この文字通りの《手仕事》は、一体何を源泉としていたのだろうか。その最大の源泉は、やはり太平洋戦争という前世紀の未曾有の厄災であるように思われる。氏は、わずか七歳の終戦の年の春、敵機が大挙して押し寄せてきた東京西郊の街を、母親と姉の三人で必死に逃げまどい、命からがら父親の郷里の大垣まで逃れたものの、そこでもまた凄惨な大空襲に遭った。東京の生家も大垣の家も無残に焼かれ、破壊された。死ぬも生きるもまさに紙一重の差のことであったようである。しかし幼い少年は生き残り、やがて作家となった。本書第一篇「雛の春」では、その生家の二階の部屋の天袋に仕舞われていた雛人形が空襲で家もろとも焼かれた時の記憶が、目にしたはずもないのに、娘の節句の時の記憶につらなる母の死、妻の病、そして娘が嫁いだあとの近昔の雛送りの時の記憶と重なり合うようにして、この《今》に再来する。

『われもまた天に』という表題は、古井文学の無限の響きをうちに含んでいる。古井氏はかつて、小説を書くことのうちにはつねに、ある「楽天」が内在すると語っていた。この「楽天」という観念ほど、氏の晩年の文学においてニュアンスに満ち、ある怖ろしさすらともなって響いてくるものもない。「天」とは、われわれの個体を超えた、天象気象の運動をつかさどる大きな存在を指すはずだが、文学に内在するという「楽天」とは、おそらくわれわれとこの「天」との細い、だがはっきりとしたつながりに由来するものだろう。この地上のいかなる生命も、天の運行に逆らうことはできない。日々の微細な「あらたまり」も、この天の運行に従っている。

 本書に収められた「遺稿」を含む四篇は、古井氏が唱えた「エッセイズム」の核心へと回帰しながら、はるかに氏の文学の数々の源泉を包括するようにして示している。古井由吉の文学が、われわれ日本人にとってこれ以上はないほど重い意味を持つとすれば、それはほかでもない、古井文学が、われわれ日本人の存在の根幹に関わるものであるからだ。戦後、前のめりになって今日まで歩んできた民が、背後に置き残してきたもの、忘却に忘却を重ねてきた祖先たちの存亡の機に関わる恐怖の記憶を、われわれはまたも忘れ去ろうとしている。古井文学の言葉は、この忘却の淵からくりかえし響いて来るがゆえに、現代の文芸がおよそ持たないような、不思議な重さを有するのではあるまいか。

 古井由吉は、おのれの《過去》を見つめることによって、未来の、われわれの共同体の亡失と存続とを同時に見ていた。祖先たちの身に起こったたび重なる厄災と、そのくりかえされてきた犠牲のうえに、「私」ははじめてあるはずだ。だからそれは、「私」という個体を超えた、死者たちも含めた「集合体」としての《生》へと通じてもいる。「私」が誰であるかを知るために、哲学が必要だとは限らない。「自分が何処の何者であるかは、祖先たちに起こった厄災を我身内に負うことではないのか」。「遺稿」の最後の一文が放つ、ある静まりの極まりのなかで、古井由吉はそう生者に問いかけている。ただ知るのではない、それは「我身内に負う」という端的な決意なのだ。(つきじ・まさあき=立教大学、武蔵野美術大学ほか講師・映像論・造形批評)

★ふるい・よしきち(一九三七―二〇二〇)
=ロベルト・ムージル、ヘルマン・ブロッホらドイツ文学の翻訳を手がけたのち、「杳子」で芥川賞、『栖』で日本文学大賞、『槿』で谷崎潤一郎賞、「中山坂」で川端康成文学賞、『仮往生伝試文』で読売文学賞、『白髪の唄』で毎日芸術賞受賞。数多の著作を遺す。