古代史論聚
著 者:木本好信(編)
出版社:岩田書院
ISBN13:978-4-86602-104-1

多種多様な論文が並ぶ一大論文集

専門的な研究へと開かれた入り口として

佐々田悠 / 宮内庁正倉院事務所・日本古代史
週刊読書人2020年11月27日号


 総勢六十五人の執筆陣による、本文八三八ページにおよぶ一大論文集である。歴史学・文学・考古学にわたる幅広い立場から論じられた、多種多様な古代史の論考が並ぶ。序によれば、本書は編者の木本好信氏が自らの古稀を記念して編んだものだという。人文学界には還暦や古稀を記念して後輩や教え子たちが論文集を献呈し、学恩に感謝する習わしがあるが、本書は当人が発起して知人たちに声をかけ、自身で編集作業をこなされたというから珍しい。その経緯のみ聞くと奇異に思われるかもしれないが、木本氏のこれまでの歩みに照らせば、その実直な人柄によるものと納得させられる。

 木本氏は米沢女子短期大学、甲子園短期大学において教鞭を執り、甲子園では学長の重責を担われた。この間、『藤原仲麻呂政権の基礎的考察』や『平安朝日記と逸文の研究』など、奈良時代政治史と平安時代の公卿日記を二つの柱として精力的に研究を進められ、近年はミネルヴァ日本評伝選を三書も執筆するなど(『藤原四子』『藤原仲麻呂』『藤原種継』)、その筆力は衰えることを知らない。その一方で驚嘆すべきは、長く研究誌『史聚』の事務局を一人で務め、編集・発送などの実務を今なお担われていることである。今年で創刊四十年、第五十三号を迎えた同誌は、内外の会員による論文発表の場であり続けている。ことに若手の研究者にとって、そうした発表の場はありがたい。本書はその拡大版ともいうべきもので、今やベテラン・中堅となった方々が、木本氏の『史聚』への献身や学恩に答えるべく論考を寄せたわけである。

 本書では統一的なテーマは設定されておらず、個々の論考は短編で、個別的な考証が主であるから、必ずしも読みやすいとは言えない。ただ、見方によっては、専門的な研究の入り口がさまざまに開かれているわけで、専門外の読者にとっても研究者たちの取り組みを知る良い手引きとなるであろう。個人的に気になった論考をいくつか挙げると、荊木美行「「匣」と「褶」」は、『播磨国風土記』に出てくる「匣」が中国漢代に見られるような遺骸を包む金縷玉衣の類いであった可能性を提起する。一字一句を虚心に読み、見落とされてきた論点を掘り起こすのは文献史学の王道である。北野達「朝影に我が身はなりぬ」は、万葉集に見られる「朝影」の表現を「身のやせ細った姿」とする通説を見直し、「暁闇の不確かな像」という理解を軸に解釈すべきことを明らかにしたもの。上代文学研究の醍醐味に触れる思いがする。栄原永遠男「月借銭と布施」は、役所から前借りする月借銭の利息が給与(布施)総額の五分の一程になっており、給与の一定割合を回収する仕組みであった可能性を示唆する。これまで末端役人の困窮した暮らしや、仲介者の中間搾取として論じられてきた月借銭であるが、研究史上の重大な論点が提示されたと言える。関根淳「中世移行期の国家論」は十・十一世紀という古代・中世の狭間の国家論。近年は権門や荘園制の萌芽を重視し、この時代を中世に引きつける傾向にあるが、公権力の変化を指標として古代の範疇でとらえる見方を支持する。国家や時代の本質をどこに認めるか、継続的な議論が求められよう。

 このほかにも興味を惹く話題は多い。ひとつひとつは短いが、大きな議論はこうした個々の考証の積み重ねがあってこそ成り立つことは言を俟たない。こうして学問は少しずつ前進していくのであろうと、改めて感じた論集であった。(ささだ・ゆう=宮内庁正倉院事務所・日本古代史)

★きもと・よしのぶ
=龍谷大学特任教授・奈良時代政治史・古記録。著書に『藤原式家官人の考察』『藤原南家・北家官人の考察』『奈良時代の政争と皇位継承』など。一九五〇年生。