北斎になりすました女 葛飾応為伝
著 者:檀乃歩也
出版社:講談社
ISBN13:978-4-06-518902-3

父・北斎のゴーストライターに徹した女流絵師の謎

図書館発!こんな本が面白い【書評提供:図書館流通センター(TRC)】

菊地恵利子 / TRC仕入部
週刊読書人2020年12月4日号


 世界的に有名な、江戸時代の絵師・葛飾北斎。彼の代表作「神奈川沖浪裏」―藍色と白のダイナミックな波と、後方の富士山との対比が秀逸な浮世絵―を知らない人はいないだろう。北斎は90歳まで生き、3万点もの作品を残した。晩年も制作意欲は衰えず、亡くなる直前の肉筆画は中風(脳卒中)を患った老人が描いたとは思えない筆致で、さすが天才絵師と唸らせる完成度だ。

 しかしその晩年の作品の1つ「雪中虎図」を観て、ゴーストライターの存在を疑った女性がいた。小説家キャサリン・ゴヴィエは調査の結果、それが北斎の娘・葛飾応為(本名・お栄)だと推定するに至り、2011年に小説「北斎と応為」を発表する。ゴヴィエと同じく、北斎の作品に別の絵師の作品が含まれていると考えたのが、絵画史研究家の久保田一洋だ。30年以上の研究の中で北斎と応為の絵を見分ける特徴を見つけた久保田は、2015年に発表した研究書「北斎娘・応為栄女集」で、応為作とみられる北斎作品を挙げている。

 ゴヴィエと久保田の著書をベースに制作された、BS11のドキュメンタリー「北斎ミステリー~幕末美術秘話 もう一人の北斎を追え~」(2017年放送)は、前半で北斎の技法に関する科学的な検証を、後半で北斎の娘・応為の謎を扱い、日本民間放送連盟賞を受賞した。本書は、この番組制作に携わった檀乃歩也が、番組内容に新たな取材を加えて著したノンフィクションだ。

 本書では、生没年すら定かではない応為について、北斎の作品や伝記を丹念に追うことで、応為の痕跡を浮かび上がらせようと試みている。例えば晩年の北斎が超人的な制作量をこなせた理由の一例として、89歳の北斎が同時期に江戸と信州小布施でそれぞれ大作を納品した事実を取り上げ、二人暮らしを続けて北斎を支えていた応為がその時期だけ江戸に住んでいたことから、応為が江戸で北斎になりすまして大部分の制作を行っていた可能性を導き出す、といった具合だ。

 応為に関しては裏付けとなる文献が少ないため、作品からの推測が多く、新たな史実というよりは説得力のある仮説という側面があることは否めない。それでも本書からは、北斎の作品に新たな見方が加わっていく驚きや、天才絵師である父の画業を同じ絵師として最期まで支えた娘の姿を確かに感じることができる。

 応為は北斎と異なり、光と闇の表現を得意とした。代表作「吉原格子先之図」は、遊郭の夜の張見世を題材として扱い、華やかな世界の明暗を見事に表現している。しかしゴヴィエはこの絵に美しさとともに「男社会に生きる女の哀しみ」を感じたという。

 絵師として40年以上過ごしながら、署名入り作品をごく僅かしか残さなかった応為。北斎をして美人画なら自分を凌ぐと言わしめた応為は、それだけの力量を持ちながら、なぜこれほどまでに北斎の陰として生きたのか。読了後もその謎は残り続けている。