海をあげる
著 者:上間陽子
出版社:筑摩書房
ISBN13:978-4-480-81558-3

多様な他者の声と経験が聞こえる

言葉の交換に限定されない、人と場所との対話

砂川秀樹 / 文化人類学者
週刊読書人2020年12月4日号


 読み終えて本を閉じた瞬間、文学理論で使われる「ポリフォニー」という言葉が思い浮かんだ。音楽用語だったものを、バフチンがドストエフスキー小説の分析に用いたもの。その概念によって、作者が統合、支配する作品としてではなく、社会における差異に満ちた多様な声が登場人物を通して表出し、対話する構造を指し示した。

 本書は、小説ではなく自己の体験を書き綴ったエッセイであり、またバフチンの用いた意味からずれるが、著者を通じて、彼女が共に生きてきた家族や友人、研究者として関係を築いてきた人たちの言葉と存在が溢れ出てくる文章に、その言葉が浮かんだのだった。それは、単に人々の様子が丹念に描かれ、言葉が引用されているからだけではない。

 ポリフォニーの土台には、自己という存在が、一枚岩のような独立したものではなく、他者との関係の中で生成しているという人間観がある。そういう意味では、誰がどう書こうと、そこにはポリフォニーがあるとも考えられるわけだが、「私」が物語るとき、確固たる同一性を仮構して語るのか、むしろ他者により媒介される自己を省察し、あらたな自己生成へ開かれようとするのかによって、どれだけ他者の声が生き読み手にまで響くかどうかが違ってくる。著者は、半ば意識的に後者であろうとしているようにも見える。

 彼女は、 自分の娘がよく食べる子であることから話を始め、自分が食べられなくなったときの経験を振り返り語る。最初の夫に長く恋人がおり、それが近所に住む自分の友達であったことがわかったときのこと。夫や彼女ともやりとりしながら離婚に至る道筋の中で食べられなくなったという。そして、そのとき助けてくれた友だちの存在に触れながら、娘へのメッセージを紡ぐ。それは、今目の前にいる娘とだけでなく、将来の娘と対話するかのようである。

 そして、学生の頃ともに暮らした怒鳴ってばかりの祖母や、その彼女を愛していた祖父の記憶、風俗調査をおこなう中で知った東京でホストとして働く沖縄出身の若者のインタビュー、若年出産調査で出会い関係を築いた女性とのソーシャルワークとも言えるやりとりなど、彼女と様々な人とのやりとりが描かれる。それは、どれも、言葉の交換という意味に限定されない対話だ。さらに、その対象は人だけではない。沖縄の風土、戦争の爪痕が癒えぬ歴史、基地がもたらす問題とも彼女は対話する。

 一見、バラバラに見える経験、場所の記憶が、時間も越えて、対話により彼女の中で交差しテクストとして織り編まれている。おそらく彼女は、幼い娘が将来読むことをイメージして書いたろう。それが、厳しい社会状況が突きつけられる中、未来へ希望を感じさせる。

 ただ、こうした多様な他者の声と経験が聞こえてくるような本書の中で、重いため息をついた箇所があった。それは娘への性教育で、性が生殖を中心化し異性愛のみを前提として語られる部分。批判というより、彼女の生きる沖縄でLGBTQの活動をしていた者として感じた悲しさを伝えたいと思った。(すながわ・ひでき=文化人類学者)

★うえま・ようこ
=琉球大学教育学研究科教授・教育学。未成年の少女たちの支援・調査に携わる。著書に『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』など。一九七二年生。