定点観測 新型コロナウイルスと私たちの社会 2020年前半
著 者:森達也
出版社:論創社
ISBN13:978-4-8460-1951-8

「禍福は糾える縄の如し」

現実をしっかり見据えている書き手を揃える

斎藤貴男 / ジャーナリスト
週刊読書人2021年1月1日号


 支配層は軍事力を後ろ盾にした帝国主義国家を目指している。そのためには生産性が低いと見なされる中小零細の企業を積極的に淘汰し、国内の生産資源を国際競争力のある「高付加価値部門」と、高齢化でニーズの増すサービス産業に振り向けていく意向だ。

 これを称して〝産業構造の転換〟という。新型コロナウイルスの感染拡大を、彼らはかねてからのビジョンを一気に実現できる、絶好のチャンスだと捉えている――。

 理論経済学者・松尾匡の手になる「コロナ下で進む日本経済の「転換」」の指摘だ。東京財団や大和総研などのシンクタンクがこれに沿った提言をまとめ、政府はそれらを基にした経済政策を打ち出す。デジタル化や日本銀行によるETF(上場投資信託)の購入、より一層の消費税増税の検討等々は、その表れなのである、と。

 その通りだと思う。専門家の論考を読んで、これほど膝を叩いた経験は、久しくなかった。

 日本経済だけではない。医療、ジェンダー、文学、ネット社会、教育、メディアなどなど多様な分野にわたる興味深いエッセイやレポートが、全部で一七本も詰まっている。

 コロナと社会を論じた書籍は、今や雨後の筍の様相だ。だが本書は、特にビジネス本にありがちな、やたらポジティブな処世術本の類とは明確に一線を画し、現実をしっかり見据えている書き手を揃えているところに特徴がある。そこがいい。

 反貧困ネットワークの雨宮処凛は、弱い立場の人から追い詰められていく現場を目の当たりにした。「ステイホーム」と言われても、そもそも「ホーム」のない人が増やされてきた状況がある。政府のやることなすことが「素っ頓狂」だと、彼女は書いている。

 ジャーナリストの安田浩一は、緊急のマスク配布に臨んでも差別を忘れなかったさいたま市と、これに抗議した朝鮮学校に殺到したヘイトスピーチの主たちの醜悪さを告発。かりそめにも副首相の要職にある政治家が、ネトウヨ用語「武漢ウイルス」を叫んで恥じない国で、私たちは暮らしているのだ。

 緊急事態宣言が出る前の沖縄を訪れた際に見た光景を、「考えてみれば不思議な場所だ」と振り返ったのは、東アジア現代思想史の丸川哲史である。なにしろ在日米軍基地が仮想敵としている朝鮮半島や中国大陸から、膨大な観光客が訪れているのだから。しかし、そんなアンビバレントも、もう過去のものになっていくのかもしれない。トランプ政権がコロナ禍の政治的責任をすべて中国に背負わせる挙に出たためだ。

 ライターの武田砂鉄も、ユニークな仕事をしたと思う。「アベノマスク論」。言うまでもなく、安倍晋三前首相が全戸配布を宣言し、二六〇億円もの国費が投じられたものの、小さすぎる上に汚ならしく、利権まみれ丸出し、そもそも届かなかったりで、誰にも見向きもされなかった代物の物語だ。アレの顚末には評者も深い関心を抱いており、全国を回ってルポしたいと某誌の編集部に持ち掛けたことがあるのだが、あっさり却下されてしまっていた。だから、ちょっぴり羨ましくもある。

 本書のページを繰るにつれ、唐突に、ある人物を想起させられた。マーティン・シュクレリ。投資家で製薬会社の重役を務めていた二〇一五年、抗寄生虫薬ダラプリムの製造権を得て価格を五六倍に吊り上げて、患者たちの怨嗟を買い、「米国で最も憎まれている男」の異名を取った。アフターコロナの世界は、こんな手合いが増殖していきそうな気がしてならない。

 それでも――。

「禍福は糾える縄の如し」。「間違いなくこれからの世界のシステムと意識は変わる。だから祈る。少しでも良く変わりますように」と、編著者の森達也は書いている。おなじみのモリタツ節に、なんとなく癒された。(さいとう・たかお=ジャーナリスト)

★もり・たつや
=作家・映画監督。著書に『ドキュメンタリーは噓をつく』『フェイクニュースがあふれる世界に生きる君たちへ』『U』など。映画作品に『A』『A2』(二〇〇一年山形国際ドキュメンタリー映画祭特別賞・市民賞)など。一九五六年生。