ゼロからはじめる哲学対話
著 者:河野哲也(編)
出版社:ひつじ書房
ISBN13:978-4-8234-1032-1

哲学対話の論点や現状、網羅的に記述

その魅力や多様な声がより伝わる工夫を

三浦隆宏 / 椙山女学園大学准教授・倫理学・臨床哲学
週刊読書人2021年1月8日号


 本書の評者として私が適任かどうか、やや自信がない。私自身はすでに二〇年弱にわたって哲学対話を行ない続けているからだ。とはいえ、新たに「ゼロからはじめる」のは哲学の特徴でもある。というわけで、評者の任を引き受けることにした。

 まず装丁がみずみずしい。執筆者には、この国の哲学対話を牽引してきた河野哲也、小川仁志、梶谷真司、齋藤元紀、寺田俊郎の各教授陣に河野や寺田らのもとで哲学することをまなんだ若手の哲学プラクティショナーらが名を連ねる。概ね三〇歳前後の彼・彼女らにとって、哲学対話は当初から自明なものとしてあったのだろう。ごく自然に「哲学プラクティス」を専門分野として掲げている。その屈託のなさがうらやましくもある。

 本書は全体で五つの章からなる。副題で「ハンドブック」(奥付ではManual)と銘打たれているように、哲学対話=哲学プラクティスにかんするさまざまな論点が網羅的に記されている。第2章5節「対話のオーガナイズの仕方」や第3章1節「対話の場所と環境」のように言わずもがなの事柄や第5章4節「倫理基準」をこうしてまとめておいてもらえると、いざというときに心強い。個人的には序章3節「対話と思考の関係に関する心理学」と第5章1節「海外の現状」を興味深く読んだ。なお、すべての章が計一五人の執筆者らの分担によって記されているが、編集協力として明記された得居千照と永井玲衣の尽力の賜物だろうか、章の途中で執筆者が変わっていてもスムーズに読み進められるよう文体の統一に留意されている。ただ、欲をいえば、本文中の重要な語句を太字で強調したり(管見によれば傍点が一八三頁に二箇所あるのみ)、第5章1節で数枚使われていた写真を本書全体を通してもっと用いるなどの紙面上の工夫がもう少しあれば、視覚により訴えられる指南書になったかと思う。

 新しい家電製品を買ったときに、取扱説明書をすべて読む人は稀であろう。基本的な使い方を取り急ぎ読んで、あとは実際に使いながら、困ったときに再度トリセツで確認する。そういう読み方をするはずだ。ハンドブックやマニュアルとはそういうものである。だから、以下に記すことはないものねだりの謗りを免れないが、本書を読んでひとは哲学対話に惹かれるだろうかという点がいささか気になった。本書の言葉でいうと、哲学対話にかんする「方法知」(二七六-七頁)――それを執筆者の村瀬智之は「ある種のマニュアルや、やり方の教本を読んだだけでは足りない「やり方についての知識」」だと述べる――をこそ記してもらいたかったのに、そうではなく、「知識や経験に基づいた具体的なアドバイス」を「情報や経験が多い先輩ママ・先輩パパが後輩ママ・後輩パパに教える」(八二-三頁)という構図――執筆者の松川えりは、これを哲学カフェ以前の子育て相談や悩み相談にありがちな特徴だとする――を、本書がそのままなぞってしまったのは残念である。本書には「深い」や「深まる」「深まり」という語がまるで強迫観念のように頻出するが、本書の記述じたいがその深まりをどこまで体現しえているかもやや疑問である。むろんそれは多くの執筆者からなる共著である以上、やむを得ないことではある。けれども、第4章「知っておきたい哲学のテーマの概説」をモノローグではなくダイアローグで記したり、あるいは執筆者らと日々哲学対話を交わしている一般市民(子どもももちろん含む)の多様な声をも響かせるなどして、哲学対話そのものの魅力を実地でもっと見せてもよかったのではないか。

 哲学対話に関する知識は網羅的に記してあっても、哲学対話に対する欲望=愛をかき立てる本にはなりえていない。それが読んでいてやや歯がゆく感じられた。(得居千照・永井玲衣編集協力)(みうら・たかひろ=椙山女学園大学准教授・倫理学・臨床哲学)

★こうの・てつや
=立教大学文学部教授・現象学、心の哲学・教育哲学。著書に『意識は実在しない』『道徳を問いなおす』『じぶんで考えじぶんで話せる』など。一九六三年生。