次の夜明けに 下一個天亮
著 者:徐嘉澤
出版社:書肆侃侃房
ISBN13:978-4-86385-416-1

台湾の脱植民地化の記憶の分有

被傷性を帯びた身体から歴史の局面をモンタージュする

渡邊英理 / 静岡大学人文社会科学部准教授・近現代日本語文学
週刊読書人2021年1月8日号


 近年、「アジア」の文学が身近になっている。「韓国・フェミニズム・日本」を特集した雑誌『文藝』二〇一九年秋季号の異例の増刷は記憶に新しい。また、倉本さおり、長瀬海らが主催し、中国、台湾、香港、チベット、タイなどの現代文学を読む読書会「アジア文学の誘い」も盛況だと聞く。この「アジア文学」の活況が、グローバル化(世界化・商品化)の「副産物」であることを否定することはできないが、しかし、文学を通じて日本社会がアジアに触れようとする新たな潮流であることもまた間違いないだろう。戦後、「アジア」と出会いそこねてきた日本社会が、「アジア」と出会い直す機運が高まりつつあるのだとすれば、喜ばしいことである。

 そんななか書肆侃侃房から徐嘉澤の『次の夜明けに』が出版された。地理的にも歴史的にも「アジア」に近しい福岡を拠点とするこの版元は、すでに韓国文学のレーベルを持ち、これまで優れた著作を翻訳してきたが、新たにそこに台湾文学のレーベルが加わった。本書は、その「現代台湾文学選」の第一作である。徐嘉澤は一九七七年生まれ、本作が初邦訳である。

 日本の敗戦をもって、台湾は中華民国へ「返還」された(「光復」)。それに伴い、台湾における公用語は、日本語から現在の「国語」(標準中国語)へ転換される。祖父母、父、息子の三代に渡る一族の物語を幹に、この小説が紡ぐのは、一九四七年の二・二八事件から二〇一二年の現代まで、台湾における困難な脱植民地化の記憶である。「彼らは歴史に従って倒れていったのかもしれない」。「正解のある問題もあれば、永遠に解けない問題もある」。特定の時間と空間を生きた集団が被る傷は、ひとりひとり個別具体の身体を通じてしか実現されることはない。この小説を生きる人々とは、出来事に飲み込まれ打ちのめされることによって逆説的にそれを辛うじて記憶する、傷跡としての身体である。

 台湾において、その出来事の傷は世代によって異なる。長編のサーガというよりは、むしろ短篇連作集のように、この小説は被傷性を帯びた身体から台湾の歴史のある局面をモンタージュし、その断片を連ねる。この小説の新聞記者の夫とその妻・春蘭は、二・二八事件の当事者である。一九四七年二月二八日、台北市での闇煙草売りの老婆を取締官が虐待したことを契機に、国民党(外省人)の独裁的な支配・失政に対する台湾人(本省人)の不満が爆発する。この台湾人による蜂起と、それに対する国民党政権による武力弾圧、そして虐殺へと至る事件が、二・二八事件である。事件後、春蘭の夫は言葉を失い、その後の台湾の激動期を「廃人」のように過ごす。春蘭夫婦の息子たち、新聞記者の起義は戒厳令下に民主化運動に邁進し、美麗島事件――『美麗島』雑誌社の集会をめぐる当局と市民が衝突した一九七九年の事件――で入獄し、弁護士の和平は、人権を侵害されているタイ人やフィリピン人などの外国人労働者の支援を行う。起義の息子・哲浩は、自分が同性愛者であることを告白し、恋人の傑森に伴われ反開発運動やLGBTパレードに加わる。哲浩と傑森の物語には、少年Yの悲痛な事件――苛めを受けていた性的マイノリティの中学生が不可解な死を遂げた台湾で実際に起こった事件――が通奏低音として響いている。またダム建設反対運動の現場では、哲浩と傑森は客家語の歌に耳を澄ます。この小説は、省籍矛盾(本省人/外省人)などの台湾の大文字の政治闘争から、社会保証、ダムや原子力発電所の建設などの環境問題、「少数民族」、外国人労働者、女性あるいは性的マイノリティなどの少数派による異議申し立ての社会運動まで、個人の生を通して台湾の脱植民地化の重層的な歴史を描き出している。

 台湾における民主化のプロセスは、光復から一九五〇年代に発生した二・二八事件とそれに続く白色テロを再審するプロジェクトを内包している。二・二八事件の当事者たちを描くこの小説も、そのプロジェクトの系譜に連なるが、台湾の脱植民地化に伴う固有の困難や複雑さをその困難さと複雑さのままに分有しようと企てている点で稀有な実践となっている。まず、この小説は、二・二八事件を日本語世代の男性知識人(夫)ではなく、同世代の女性(妻・春蘭)の視点で描きだす点で、男性を主体とした大文字の政治/歴史をずらそうという意図が見られる。また、この小説は、抗日を統治の正当性の根拠ともする国民党(外省人)への反発から日本への安易なノスタルジーに傾倒することを退け、日本語を、裏切りと悔恨の記憶をめぐる複雑なメディアとして位置づける。小説が日本語に与える複雑なポジションは、複雑な台湾の脱植民地化の過程が、日本にけして無関係ではないということをパフォーマティブに指し示す。

 敗戦の結果として一挙に植民地を失った日本は、反植民地闘争に直面することなく、帝国的な感性を戦後も抜けきれずにいる。日本社会の脱帝国化という意味でも、本書が日本語に翻訳された意味は大きい。この小説が行う台湾の脱植民地化の記憶の分有。それは、日本における脱帝国化という未完のプロジェクトに不可欠な経験をもたらすだろう。その経験は、資本と国家の地政学とは異なる他の「アジア」を想像/創造する貴重な資源となるはずだ。(三須祐介訳)(わたなべ・えり=静岡大学人文社会科学部准教授・近現代日本語文学)

★じょ・かたく
=高雄特殊教育学校で教鞭を執りながら、作家活動を行う。時報文学賞短編小説部門一等賞、聯合報文学賞散文部門一等賞、九歌二百万長編小説コンテスト審査員賞、BenQ華文電影小說一等賞など。一九七七年生。