幻想と怪奇の英文学Ⅳ 変幻自在編
著 者:東雅夫/下楠昌哉(責任編集)
出版社:春風社
ISBN13:978-4-86110-699-6

言葉の向こう側、世界の反転、読む喜び

学問という営為、すべてテーマの異なる十八の論集

高原英理 / 作家
週刊読書人2021年1月15日号


「幻想と怪奇」にかかわりはするがすべてテーマの異なる十八の論集である。だから全体の感想では意味がない。そこで個々の論について書いた。著しく字数が不足なので翻訳以外は題名を省略し、敬称略とした。

 ①遠藤徹・ウィンダム『トリフィドの日』を人間中心主義から脱する作品として読む。〈人間にはまだ気づかれていない植物性がある〉という末尾近くの言葉が魅力的である。

 ②南谷奉良・恐竜文学―古生物文学の語られ方。恐竜の名をあげても読み手に通じなかった時代〈言葉で書かれた物語に言語の限界が書き込まれている〉とわかる。言葉の向こう側に未知の怪物がいると思うとその素晴らしさが猶更実感される。

 ③大沼由布・「マンティコア」の記述の変遷。プログレバンドELPのアルバム『タルカス』のハイブリッド怪獣タルカスが戦ったことでも知られるマンティコア。古代は実在的記述だったが中世を経てより幻想的に語られてゆく道筋を緻密に辿る誠実な仕事である。

 ④下楠昌哉訳アナ・リティティア・バーボールド「恐怖の諸対象を起源とする快楽について。断片作品『サー・バートランド』を付して」。なぜ怖さが快楽なのか。それは私たちの想像が大きく飛出すときの力の拡張を喜ぶからだ。続いて実例が作品として提示される。手取り足取り恐怖案内という親切さである。

 ⑤小川公代・マチューリン『放浪者メルモス』のヒロイン・イマリーの描かれ方とともに彼女とメルモスの「結婚」の複雑な位相を探る。それは法的・宗教的な組織の与える正統性と別の次元にあり、保守派の軽視した「情熱」に価値を置く。時代背景とともにロマン主義的発想の動向と批評性とを重層的にとらえる優れた読解の実践である。

 ⑥市川純・ルイス『マンク』を構成する二つのプロットを詳細に見てゆくとイギリス市民である作者のアンチ・カトリシズム=アンチ・スペインの感情がうかがえ、さらに作内の挿話「血みどろの尼僧」に代表されるようなドイツ的要素がそれを批判するという様相が見えてくる。ミステリーの謎解きのような進行を面白く読んだ。

 ⑦日臺晴子・ウォルポール『オトラントの城』とワイルド『ドリアン・グレイの肖像』での物質の意味の差。ゴシック小説でのモノたちの饒舌、人の恣意性を介在させないゴシック小説におけるモノ語りの系譜、デカダン派の人工物崇拝など、心惹く論点に満ちている。

 ⑧金谷益道・E・ブロンテ『嵐が丘』に登場する「幽霊のキャサリン」は誰か。それは最初のキャサリン(一世)の子供時代ではないのか。最終的にその決定はなされないが、謎の成立要因を明かして、こちらはアンチ・ミステリーを読むような面白さがあった。

 ⑨岡和田晃・E・F・ベンスンの作品を精密に読む。その読解も面白いが、このように「うまい」とされる作家の怪奇幻想小説に見える差別の痕跡から目を背けず、それをローズマリー・ジャクスンのいう「転覆」の契機として読み替えることが重要、とする見解に賛成する。「面白さ」を享受するだけでなく、こうした広がりのある積極的な読み方も是非心得ていたいものである。

 ⑩石井有希子・ハーディ『萎えた腕』を、用いられる語・名の意味・語源・使用法の拡がり・深みから読み直す。さらに当時の労働状況・窮乏・不安。丁寧な読み方とはこういうものであると知った。

 ⑪小林広直・ジョイス『死者たち』について。主人公ゲイブリエルは亡霊という他者の到来によって自分自身を中断する契機を得る。それは読者にも何かの契機となるだろう、そんなことを考えさせられた。

 ⑫岩田美喜・W・B・イェイツの戯曲『窓ガラスの言葉』について。『鷹の井戸』などよりはリアリスティックと言われる当作品だが、そこにはリアリズムと驚異のせめぎあう「転覆」の瞬間がある。ジャクスン以後、「幻想性」を考えるにはこうした視点が不可欠と思う。

 ⑬田多良俊樹・カズオ・イシグロ『ある家族の夕餉』は幽霊譚として読めるか。これは死者による回顧談なのだと知らされると世界が反転する。こうしたところに読む喜びがある。

 ⑭深谷公宣・R・M・パーシグ『禅とオートバイ修理技術』に語られる、二元論を超えようとする価値観「クオリティ」について。弁証法的にではなく他者性が二元論を克服し新たな認識を獲得する、その焦点を一歩一歩見据えてゆく姿勢が頼もしい。

 ⑮小宮真樹子・アーサー王伝説にみられる狂気の変遷。マロリーからテニスンまでの狂気の描かれ方・その意味・重みが一望される。学問という営為の意義を示す論文である。

 ⑯有元志保・F・マクラウド『罪食い人』について。本邦の赤江瀑が完全な虚構として描いた「罪食い」の習俗は実際にイングランド西部にあったとも言われ(真偽は不明)、マクラウドがその暗鬱なモチーフを文学化した。複層的な語りは読者自身に潜む何かをもまた見出させるだろう。印象深い記述が私にもわやわやと妄想を紡がせてくれた。

 ⑰桐山恵子・コレリ『復讐』について。乱歩『白髪鬼』の原案として知られる当作品はゴシックな娯楽性とともに、道徳の回復への傾向が強く見られ、主人公は最後、進歩からかけ離れた地で無垢な自然への回帰をはたす。その娯楽的外観の内に隠れた、時代性への抵抗の筋道を当論文は教えてくれる。

 ⑱高橋路子・M・スパークの三作品を読みながらそこに作者の「終わり」にかかわる諸相を見る。主人公たちが「死」を意識した時から「死」「終わり」は始まる。これは語りと虚構性についてのすぐれた解説であり、技法とプランの多くを教えられた。

 以上。学術論文は読まれるだけでは足りず、参照され引用されて学問上の地位を得る。だから以後は、学者でもなく影響力も乏しい私のような者の評だけに終わらず、多くの学者・文学者に言及されてほしい。そのためにもこのシリーズが続くことを望む。編者の一人東雅夫の言うように〈継続こそ力なり〉だからである。(たかはら・えいり=作家)

★ひがし・まさお=アンソロジスト・文芸評論家。『幽』編集顧問。著書に『遠野物語と怪談の時代』(日本推理作家協会賞)『なぜ怪談は百年ごとに流行るのか』『日本幻想文学大全』『世界幻想文学大全』など。一九五八年生。
 
★しもくす・まさや=同志社大学文学部教授・イギリス文学・文化・アイルランド文学。著書に『妖精のアイルランド―「取り替え子」の文学史』、訳書にマクドナルド『旋舞の千年都市』、ゴードン『吸血鬼の英文法』など。一九六八年生。