魔宴
著 者:モーリス・サックス
出版社:彩流社
ISBN13:978-4-7791-2670-3

「恐るべき子供たち」の集う「sabbat」

埋もれたフランス人作家を現代に召喚する

福島勲 / 早稲田大学人間科学学術院教授・表象文化論・フランス文学・文化資源学
週刊読書人2021年1月15日号


 大部の回想録にして告白録とも言える本書は、一九四五年にドイツ兵に路上で銃殺されたフランス人作家モーリス・サックス(一九〇六―一九四五年)の遺作である。

 一九四六年の原著出版時には、現在もフランス随一を誇る書評雑誌『クリティック』(ジョルジュ・バタイユ創刊)に短評が載るほどに世間の耳目をひいた。しかしながら、訳者が嘆く通り、今やサックスは日本はおろか、本国でもあまり読まれていない。筆者も同時代のフランス人作家たちの研究者でありながら、また、生田耕作や澁澤龍彥、岩崎力の紹介があったにもかかわらず、この作家を知る努力をほとんどしてこなかったことを恥ずかしく思う。その意味において、サックスの主著たるこの『魔宴サバト』の初邦訳は、文字通りにこの作家を現代に蘇らせようとする召喚の儀式にも喩えられるかもしれない。

 とはいえ、死後七十五年を経て、どうしてこの埋もれたフランス人作家の眠りを妨げる必要があるのか。一つには、サックスの情動的で破滅的な語り口が、「呪われた作家」に連なる魅力的な好例をなしているからである。その雄弁にして自嘲的な口調に、同時代の日本を生きた太宰治を想起するとは訳者の弁である。

 だが、何と言っても圧巻なのは、サックスの人生と筆致の中に紛れもなく感光させられている、二〇世紀前半のパリという時代と場所が持っていた過剰な生のエネルギーである。当時のカリスマとも言えるジャン・コクトーへの接近と幻滅を皮切りとして、熱情と裏切り、浪費と借金、出世と逃亡、同性愛と異性愛といった相反する極を往還しながら展開していくサックスの生活と交友関係は、第一次世界大戦を分水嶺として両側に広がる「ベル・エポック」と「狂乱の時代レ・ザネ・フオル」を描き出す極彩色の一大絵巻となっている。

 ユダヤ人家庭に生まれながら、カトリック回宗を経て、プロテスタントに。神学校から軍隊(まさに赤と黒!)、ヨーロッパから新大陸へと駆け回りながら結婚、離婚、逃避を繰り返す筋金入りの同性愛者。アナトール・フランスが祖父の弔辞を読み、「カルメン」作曲の音楽家ビゼーともつながる名家の出自。プルーストが『失われた時を求めて』の登場人物たちの想を得た「ストロース夫人のサロン」の残り香を直に嗅いだ少年時代と文学への傾倒。そして、小説と現実の世界とが地続きであったことを発見していくプルーストの元秘書アルベール(『失われた時を求めて』の女性ヒロインのアルベルチーヌのモデルと噂される)との悪所での浅からぬ縁。コクトー、ココ・シャネル、さらにはアンドレ・ジイドといった時代の寵児たちの懐に秘書や蔵書番として潜り込み、ついにはガリマール社でジャン・ポーランやアンドレ・マルローとともに『新フランス評論』の編集委員にまで登りつめた文学者。だが、第二次世界大戦下では対独協力者としてまめまめしく働き、しかもそこでも裏切り、最後には路上で銃殺されたと伝えられる人物。

 つまり、サックスとは、「ベル・エポック」から「狂乱の時代」に到るパリの最も濃密な空気を呼吸し、その時代の大立役者たちや彼らが織りなす人間模様、そして人々のコミュニケーションの基層にあった文学や芸術の伝統の最後の輝きを、その波乱に満ちた人生を感光紙として、後世に書き残してくれた最重要の作家の一人なのである。

 ときに古めかしい表現を選ぶ訳は雰囲気を伝える一方、かゆいところに手の届く訳注も有用である。とりわけ、付録として付けられた「『魔宴』人物帖」は、「ベル・エポック」と「狂乱の時代」の登場人物のみならず、普遍的なフランス文学の風景を構成する作家・詩人・哲学者たちも丁寧に説明されている。まさに本書は「恐るべき子供たち」の集う「魔宴sabbat」である。専門家からフランス文学に特別の知識のない読者まで、読書の快楽と人間への驚きを同時に楽しむことができるような書物である。(大野露井訳)(ふくしま・いさお=早稲田大学人間科学学術院教授・表象文化論・フランス文学・文化資源学)

★モーリス・サックス(一九〇六―一九四五)
=作家。パリでユダヤ系の宝石商の家系に生れる。少年時代から作家を志し、コクトーやシャネルなど著名人の庇護を受けるまでになるが、その放縦から周囲の期待をくりかえし裏切り、綱渡りのような流浪の生涯を送った。修道僧、軍人、ゲシュタポのスパイとなり、ドイツ軍により銃殺された。著書に『屋根の上の牡牛の時代』『サバト 抄訳』『五本の鉄格子の背後で 抄訳』など。