東電刑事裁判 福島原発事故の責任を誰がとるのか
著 者:海渡雄一
出版社:彩流社
ISBN13:978-4-7791-2641-3

福島原発事故は「無責任の体系」を繰り返すのか

東京地裁判決を徹底批判、控訴審への展望を示す

佐藤嘉幸 / 筑波大学准教授・哲学/思想史
週刊読書人2021年1月29日号


 二〇一九年九月、東京地裁は、福島第一原発事故に責任を持つ東京電力の経営陣三人(勝俣恒久、武黒一郎、武藤栄氏)の刑事責任を問う東電刑事裁判に判決を下し、被告人全員を無罪とした。本書は、この裁判を通じて明らかになった数々の証拠を挙げつつ東京地裁判決を徹底批判し、控訴審への展望を示すために書かれた。原発過酷事故から間もなく一〇年を迎えるいま、できるだけ多くの人々に読まれるべき著作である。著者の海渡雄一弁護士は本裁判の被害者代理人で、一九八〇年代以来多くの原発訴訟を闘ってきた反骨の弁護士だ。

 東京地裁による無罪判決は、あたかも被告人全員を無罪とするために構築されたかのように、様々な点で奇妙かつ無理な論理構築を行っている。その点は、筆者が海渡弁護士に行ったインタビュー(「東電刑事裁判の判決の誤りを徹底批判する」、『読書人ウェブ』)でも指摘されている通りだが、ここで簡単に問題点を振り返っておきたい。

 第一に判決は、事故を未然に防ぐためには福島第一原発を運転停止するしか方法はなく、被告人らに原発停止の義務を課すにふさわしい予見可能性はなかった、として無罪判決を導いている。しかし、事故を未然に防ぐ方法としては、運転停止以外にも、防潮壁の設置、原子炉建屋や主要機器室の水密化、代替電源や注水装置の高台移転など複数の方法があり、それらの一つでも津波到着前に完成していれば、事故は防げた可能性が高い。実際、日本原電は、二〇一〇年までに東海第二原発でこれらの工事を(わずか一年余りで)実施し、事故を未然に防止している。

 第二に、政府の地震調査研究推進本部が二〇〇二年七月に発表した「長期評価」は、三陸沖北部から房総沖に至る日本海溝沿いの領域で「マグニチュード八クラスの津波地震が三〇年以内に二〇%程度の確率で発生する」としており、東京電力は、原発の安全を考える上で異様に高いこの確率に基づいて、即座に津波対策を実行せねばならなかったはずだ(一般に、原発では過酷事故の可能性を一〇〇万年に一回以下の頻度に抑えなければならない)。しかし判決は、奇妙な論理構築によって「長期評価」の信頼性を疑問に付し、被告人らが津波対策を取らなかった責任を免除している。しかし「長期評価」が、地震、津波に関する多数の専門家の議論を経て作成された政府機関の公式見解である以上、それに従う必要はなかったという論理構築は倒錯していると言わざるを得ない。本書は裁判で明らかになった様々な証言や証拠を駆使して、これら判決の矛盾点を丁寧に説明している。

 本書の最大の山場は、東電がいったん実施を決めていた津波対策を「ちゃぶ台返し」した経緯を、本裁判で明らかになった多くの証拠に基づいて綿密に立証している点だ。東電は、二〇〇八年二月の「御前会議」(被告人ら最高経営陣が出席するためこう呼ばれた)で、津波対策の実施を社の方針として決めた。しかしその直後、想定津波高が一五・七メートル(実際の津波高とほぼ同じ)になるという計算が東電設計によって示されると、対策費用が膨大化し、かつ対策が終わるまで福島第一原発を停止せねばならないという恐れから、同年七月の会議で、事実上の津波対策先送りを決定したのである(「柏崎刈羽も止まっているのに、これに福島も止まったら、経営的にどうなのかって話でね」(!)という東電関係者の言葉が引用されている)。こうした行為は、最悪の事故が起きれば東北から関東までの半径二五〇キロ圏を居住不可能にしかねない(近藤駿介「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」)原発という技術の本質的危険性を軽視し、コスト削減を重視して安全性を無視した、倫理的に許容不可能な行為である。このとき、コストではなく安全性を優先して津波対策の実施が決定されていれば、福島第一原発事故は起こらなかったはずであり、多くの人々が故郷を追われ、理不尽な避難状況に置かれることもなかったのである。

 東京地裁判決は、東電経営陣の明確な不作為を示す数々の証拠が明らかになっているにもかかわらず、「少しずつ重要なことを認定事実から落とすという手の込んだ作業をして」(一二六頁)、被告人全員を無罪とした。しかし、多くの証拠が被告人らの不作為を証明している以上、彼らの責任は厳しく問われるべきだ。昭和天皇は「御前会議」で裁可した侵略戦争の責任を引き受けなかったため、十五年戦争の責任は最終審級において曖昧化された。こうした日本型ファシズムの構造を丸山眞男は「無責任の体系」と喝破したが、戦後六五年後に起こった福島第一原発事故でも依然として同じ構造が繰り返されるべきなのだろうか。本書は、東電刑事裁判の判決批判を通じて、こうした根本的な問いを私たちに投げかけている。(さとう・よしゆき=筑波大学准教授・哲学/思想史)

★かいど・ゆういち
=三八年間にわたり、もんじゅ訴訟、六ヶ所村核燃料サイクル施設訴訟、浜岡原発訴訟、大間原発訴訟など原子力に関する訴訟多数を担当。日弁連事務総長として震災と原発事故対策に取り組む(二〇一〇年四月~二〇一二年五月)。脱原発弁護団全国連絡会共同代表として、3・11後の東京電力の責任追及、原発運転差止のための訴訟多数を担当。著書に『原発訴訟』など。