山と獣と肉と皮
著 者:繁延あづさ
出版社:亜紀書房
ISBN13:978-4-7505-1664-6

狩猟撮影にみるつながりと循環

図書館発!こんな本が面白い【書評提供:図書館流通センター(TRC)】

西岡由乃 / TRC関西支社営業部企画課
週刊読書人2021年2月5日号


「猪は目を剝いて怒り、馬がいななくように、ヒュギュー、ヒュギュー!と猛々しい声を上げていた。とてつもなく生きている、と思った。」(『山と獣と肉と皮』P14)

 スーパーで綺麗にパックされた肉も、元をたどれば生きていた動物ということは誰もが理解している。

 それでも売り場の前に立つと、「かわいそう」などと感傷に浸ることはほぼなく、「今日の献立はどうしよう?」「あの料理を作るからこの肉を買わなくては」と考える人の方が多い。わたしたちが普段口にしている豚や鳥、牛といった動物たちが〝加工〟されてスーパーに並ぶまでは一連の流れがあるはずなのに、どこか「動物」と「肉」の間が分断されている。

 著者の繁延あづささんは、長崎県で写真家として活動する傍ら、ライフワークとして狩猟撮影を行っている。本書は、猟師とともに山に入り、イノシシやシカといった獣を仕留めて解体するまでの様子や、母として野生肉を料理し家族に振る舞うときのこと、皮革職人との出会いなどについて、つぶさに記したエッセイである。

 狩猟撮影が次第にライフワークになる過程で、著者は深く思考する。例えば、干された毛皮に「キヨメ」ということばを思い出し、動物の腐乱死体に「ケガレ」を感じたことに思い至る場面がある。これは日本に古くからある考え方のひとつだ。死に対する恐れや出産などは「ケガレ」、そういった「ケガレ」を片付ける人々のことを「キヨメ」とし、今もなおわたしたちの生活に深く溶け込んでいる。

 繁延さんは、ことばの由来や意味を調べていくうちに、もうひとつのライフワークである赤ちゃんとそのご家族の記録写真を撮る〝出産撮影〟とのつながりを感じていく。そこからさらに姫路の白鞣し職人との出会いを通じて、自身のルーツにたどり着く。狩猟と出産は「ケガレ」、皮革業は「キヨメ」。興味で始めたことが日本古来の考え方や自身の根幹につながる様子を読者は見守ることになるが、その深いつながりに、どきりとする。

 いまは日常生活に死の匂いがしない上に、体験することも難しい。「人間は、生き物を殺して食べている」、その事実を写真家として、子どもを持つ母親として、繁延あづさというひとりの人としてのフィルターを通して、追体験できる。静かな森の中で息を詰めるような狩猟の空気やその時の感情の揺れを一緒に感じてもらいたい。