有題無題 日本読書新聞1958-1963
著 者:巖浩
出版社:弦書房
ISBN13:978-4-86329-214-7

夢と希望はどこまで実現したのか

「日本読書新聞」編集長の五年間のコラム

野田茂徳 / 筑波大学名誉教授・哲学・政治思想史
週刊読書人2021年2月12日号


 一九五〇年代の終わりから一九八〇年代前半の時期、週刊書評紙は「日本読書新聞」「図書新聞」「週刊読書人」の三紙がそれぞれの編集特色を持って発行されていた。ところが現在「日本読書新聞」は一九八四年一二月二四日付号をもって休刊のままである。

 本書は巖浩が「日本読書新聞」の編集長に就任してから五年間のコラムである。このコラムは図らずも編集長として夢と希望があり「日本読書新聞」が時代の新風を受けて論壇に突入していく記録である。そういう時期の巖の日記であり、また覚書であるといえよう。

 そして巻末には「〝理想の小新聞〟夢見て 『日本読書新聞』25周年に」(「朝日新聞」夕刊 昭和三七(一九六二)年七月一九日掲載)が収録されている。その冒頭の一節に「軒並みに毎朝毎夕配達される何百万部の日刊大新聞とは比較にならぬ小さな特殊な〝書評・文化紙〟を作っている者としては、例えば旅の行きずりの町の書店で、本紙を三部ほどおいてあるのを発見したときなど、うれしいというより、何かはじらいのような感情に一瞬ひたされるものなのである。そっと近づいて、ぶざまに傾いているやつを、きちんとそろえて立たせてみたりする」と。

 このような思いは、出来上がった新聞であれ雑誌または書籍であれその編集・制作・販売に携わっている人びとの中にある巣立っていったものに寄せる言い難い感情であり、出来上がった商品や作品を擬人化した思いの愛情のようなものであるといえるのではないだろうか。そうした感情はそれを目にする読者にも伝播するものでもあるといえよう。

 ところで会社の存立が危うくなったこともあったという。昭和三十三(一九五八)年、「読書新聞を消してしまおうという運動が外部から起り、内部では編集・営業の先輩たちが一斉退社という挙に出た。残ったのは二人を除いて私より若い連中ばかり、その時から私が編集長というものになった。/戦後最大の危機の時期である。広告面、デマなどで猛烈な圧迫をうけた。当方としてはただ意地っぱりの特性を発揮して友人や女房連をも狩り出し、欠号なく毎週発行という寸土の防衛にこれ努めた。経理の方は、友人の友人に物好きな専門家がいてこれが駆けつけてきてくれた」そして「背景、組織、カオ、そんなものをほとんど持たない状況の中で、私たちは、日本に小新聞発達の可能性を開くかもしれないこの読書新聞という存在を消えさすまいとして、結束したのだった」と。困難な状況を脱した喜びは大きな力になって蓄積されたに違いない。

 この後、記録されるべきものが書かれたものがここにはない。一九六四年にいわゆる「皇族侮辱」の匿名記事をめぐって社内の編集部および営業・業務を合わせて会議で右翼団体「大日本愛国連合」に謝罪するという編集局長巖浩の提案が僅差で否決された。しかし僅差による否決であるが故、職員労組は編集局長に一任するのが妥当と言ったといわれていたが、その経緯の報告なのか、問題の解決のための助言を求めるためなのか一人の編集者が吉本隆明にコンタクトをとったことから私たちはこの事案に取り組まざるを得なくなったのであった。巖編集局長が右翼団体に謝罪記事を掲載するというので、印刷所に出かけて思いとどまるように説得しようと吉本隆明が呼びかけてきた。印刷所の校正室で吉本隆明は巖浩と向き合い粘り強く匿名筆者の同意なく言論の自由を放棄するような謝罪は妥当でないと繰り返し説得していた。吉本隆明に最初にコンタクトをとった「編集者」には、抗議の日の吉本隆明の厳しいミリタントの風貌とその言辞は想定外のことではなかったのではなかろうか。後に巖には彼らの同人誌で弁明させ自分では沈黙を通していると思うからである。この事案が明らかになり「日本読書新聞」の責任者として巖浩の所業は前段の夢と希望に向かっていた時間があっただけに誠に惜しまれると言わねばならない。

「日本読書新聞」(一九六四年六月八日付号)に掲載されている長文の「私たちはふたたび抗議する」は一三名(石井恭二、岩淵五郎、内村剛介、黒田寛一、笹本雅敬、谷川雁、野田茂徳、埴谷雄高、松田政男、森秀人、森崎和江、森本和夫、吉本隆明)の最小公約数的同意によるものであるが、それは単なる抗議ではなく事柄の本質とその解明を提示したものであった。(のだ・しげのり=筑波大学名誉教授・哲学・政治思想史)

★いわお・ひろし(一九二五~二〇一九)
=編集者。大分県生まれ。旧制第七高等学校を経て、東京大学文学部卒業。一九四九年、「日本読書新聞」に入社。六五年退社。雑誌「伝統と現代」を発行。奈良の春日大社などで労務に従事した。著書に『懐かしき人々 《私の戦後》』など。