郷土史大系 情報文化
著 者:松永昌三・田村貞雄・栗田尚弥・浦井祥子(編)
出版社:朝倉書店
ISBN13:978-4-254-53577-8

情報に関する知の体系を生き生きと示す

その技術のはじまりと変化、人間と情報の普遍的な関係

長﨑励朗 / 桃山学院大学社会学部准教授・メディア社会学・コミュニケーション論
週刊読書人2021年2月12日号


 情報化によって社会は大きく変わる。今までのやり方はこれからの社会では通用しない。そんな言葉が連呼されるようになって久しい。

 たしかに、ここ二〇年ほどの間に情報環境は大きく変わった。SNSの普及によって名もなき個人の発言が一定の影響力を持つようになり、昨年以来のリモートワークは人々の移動パターンすら変えてしまった。

 しかし、そうした変化は、人間社会にとってどの程度本質的なものだろうか。のべつ幕なしに変化を強調するよりも、変化する部分と変化しない部分を正しく見定めることこそ肝要ではないか。

 そんな問いを念頭におき、腰を据えて社会を見つめたい人間にとって本書は知識の宝庫である。

 たとえば広告や宣伝。直近で言えばウェブ広告がテレビ広告の売り上げを抜いたことが話題になったが、そうした宣伝活動の始まりは、実に奈良時代にまでさかのぼる。古代には識字率の低さを補うために、目で見て分かる絵看板が主体であったという。ここから読み取ることができる点は二つ。一つは人々が各時代において可能な限りの手段を用いて広告活動を行なっていたこと、そしていつの時代も「絵になる広告」が求められてきたことだ。

 本書においてこうした記述は枚挙にいとまがない。現代において最先端とされる情報技術の「はじまりの姿」がふんだんに描かれているのだ。それは人間や社会の変わらない深層に光を当てる作業でもあるといえよう。

 そうした姿勢は章立てにも表れている。「情報文化」と聞けば、のっけから前述のような広告や宣伝を扱っていてもおかしくない。しかし予想に反して本書の第一章は「道」である。コミュニケーションの訳語に「交通」が含まれていることからも分かるように、かつて情報の伝達には必ず物理的な移動がともなった。まるで「情報」と聞いて即座に空間を越えるメディアを想起する現代人の思い込みをくじくかのような始まりである。

 さらに二章、三章をはさんで最終章に「時刻と暦」を持ってきていることが、本書を単なる辞書的書物以上のものにしている。人々が現在のように共通の時間を意識して生きるようになったのは明治以後であり、共通の時間認識は国家や会社、学校といった近代的諸制度の基礎である。ここにおいて、本書の意図が明らかとなる。本書が企図しているのは近代と前近代の接合なのだ。

 そう考えれば、「郷土史」と「情報」という一見、水と油にも見える言葉がタイトルに並記されていることにも合点がいく。本書は事典としても使える体裁をとっているが、『百科全書』以来、事典とは編者たちの世界観を表現したものだ。だとすれば、本書は表層的な技術の変化にのみとらわれ、時代や分野を細分化して捉える現代人の情報観に対する一つのカウンターであるともいえる。

 それゆえ本書の項目は縦横無尽だ。伝書鳩や飛脚に関する記述からわずか十頁ほど後にはインターネットが登場し、さらにその先には、戦時情報宣伝の詳細な記録が掲載されている。別の学問領域として分断され、時代によって寸断されてきた情報に関する知の体系が、ここには生き生きと示されているのだ。

 こうした書物の恩恵にあずかるのは作家や研究者といったクリエイターだけではない。人間と情報の普遍的な関係を知ることは、技術決定論の蒙を啓き、これから新しいことを始めようとする全ての人々にアイデアの源泉を提供してくれるはずである。(ながさき・れお=桃山学院大学社会学部准教授・メディア社会学・コミュニケーション論)

★まつなが・しょうぞう=茨城大学名誉教授・岡山大学名誉教授・日本近代思想史。著書に『中江兆民評伝』など。
★たむら・さだお=静岡大学名誉教授・日本近代史。著書に『秋葉信仰の新研究』など。
★くりた・ひさや=國學院大學講師・日本政治外交史・軍事史。著書に『上海 東亜同文書院』など。
★うらい・さちこ=日本近世史。著書に『江戸の時刻と時の鐘』。