マルティン・ハイデガーの哲学
著 者:アルフォンス・ド・ヴァーレンス
出版社:月曜社
ISBN13:978-4-86503-103-4

フランスにおけるハイデガー受容史上の道標

森一郎 / 東北大学教授・哲学
週刊読書人2021年2月19日号


 本書は、フランス語で書かれた最初の本格的なハイデガー研究書であり、一九四二年の刊行以来、版を重ねてきた。その大著が、フランスにおけるハイデガー受容史に詳しい俊秀によって日本語に完訳されたことを、まずは喜びたい。

 アルフォンス・ド・ヴァーレンス(一九一一―一九八一)といえば、メルロ=ポンティ『行動の構造』(一九四二年)の第二版(一九四九年)に寄せた「序文」がよく知られている。それを収録した『両義性の哲学 モーリス・メルロ=ポンティの実存主義』(一九五一年)も、メインタイトルとともに有名だが、フランスにおけるハイデガー受容史上では、その水準を一気に高めた本書『マルティン・ハイデガーの哲学』がまずもって重要である。一九六四年にルドルフ・ベームとの共訳で出した『存在と時間』前半の仏訳も、一時代を劃した。ハイデガーの一九二九年講演『形而上学とは何か』を、『存在と時間』(一九二七年)後半の抄訳その他とともにフランス語で紹介したアンリ・コルバンの仕事(一九三八年)に続く世代の旗手が、ド・ヴァーレンスであった。

 ド・ヴァーレンスは、フッサール文庫が開設されたベルギーのルーヴァン大学で学び、かつ教えた(本書もルーヴァン大学の出版物)。メルロ=ポンティと知り合ったのも、本書でしきりに言及されるオイゲン・フィンクと熱心に対話を交わしたのも、この現象学研究のメッカにおいてだった。訳者あとがきによれば、「ジャン・ヴァールが主催していた哲学コレージュの参加者」として、エマニュエル・レヴィナスと知り合い、親交を結んでいる。本書でもレヴィナスの論文を盛んに援用している。

 このように、ド・ヴァーレンスは、二十世紀現象学運動を担った哲学者の一人であり、その実質的デビュー作が本書である。『存在と時間』をほぼ網羅的に解説しながら、バランスのとれた辛口の批判的検討を加えている。他方、本書で扱われるハイデガーのテクストは、初期公刊著作から、『ヘルダーリンと詩作の本質』(一九三七年)や当時未公刊だった講演「芸術作品の根源」までの時期のものである。その後陸続と現われたハイデガーの著作群、とりわけ百巻を超えるハイデガー全集の刊行を知っている現代の読者からすれば、物足りないとの印象を受けるかもしれない。しかし、本書に先んじて、一九三〇年代の日本で九鬼周造が行なった綿密なハイデガー読解に、なお清新な発見が満ちているように、フランスがドイツ占領下にあった第二次世界大戦中に刊行された本書で、『存在と時間』を中心とするハイデガーの思索のその後のゆくえと、ハイデガー以後の現代思想の展開とを先取りしてみせたド・ヴァーレンスの慧眼から学ぶところは大きい。

 本書で著者は、ハイデガーがいささか独断的に立てた「存在と存在者」の区別、もしくは「実存論的なものと実存的なもの」との区別が、ハイデガー自身によって係争に付されてゆく事情を、先取りして解き明かしている。「存在から存在者へ」向かうレヴィナスにしろ、「差異」をずらし変えるデリダにしろ、『存在と時間』の強みであると同時に弱みでもあった「存在者から存在へ」の向きを裏返すべく試みることになる。思えばハイデガー自身、「存在と存在者」もしくは「世界と物」が絡み合うひだに思いを凝らすことから、戦後の思索を再開していったのである。

 事柄に則した注解を繰り広げる本書の美点は、細部に宿る。一例を挙げておこう。「本来的実存の時間性」が特徴づけられるさい、有限性を引き受けるには、有限性を、死という終わりのうちに見て取るだけでなく、「被投性の反復によってその始まりにおいて・・・・・・・・・見て取る」必要がある、と指摘されている。「みずからの無性を自覚している実存は、自分を死につつある実存・・・・・・・・として先視し、生まれつつある実存・・・・・・・・・として反復する」。「本来性の瞬間において私は、先取り的に死につつ、私が世界のうちにはじめて投げられたときのままの姿でふたたび・・・・生まれつつある」(二三七頁、強調は原文)。――ハイデガーの「被投性」と「反復」の発想から「始まりへの存在」が析出してくることが、ここに予感されている。

 その一方で、「現存在の被投性」のインパクトは、じつに生々しく感受されている。本書末尾には、サルトルの小説『吐き気(=嘔吐)』(一九三八年)の名高いくだり――公園のマロニエの樹の根元の「存在」が、その余計さゆえにしつこく迫ってくる、という優れて現象学的な記述――が補遺として収録され、「ハイデガー哲学全体の中心的経験を比類なき力強さと明晰さでもって表現している」と意義づけられる。存在の「偶然性」が催させる吐き気の圏内から、二十一世紀のわれわれが脱け出ているとは言いがたい。本書は依然どっしりした道標であり続けている。(峰尾公也訳)(もり・いちろう=東北大学教授・哲学)

★アルフォンス・ド・ヴァーレンス
(一九一一―一九八一)=ベルギー、アウトウェルペン出身の哲学者。ルーヴァン・カトリック大学で法学と哲学の博士号取得後、一九四六年に同大学の教授に。著書に『両義性の哲学』など。