それでもなおユダヤ人であること
著 者:宇田川彩
出版社:世界思想社
ISBN13:978-4-7907-1744-7

ダブルスタンダードを生きる

図書館発!こんな本が面白い【書評提供:図書館流通センター(TRC)】

望月美和 / TRCデータ部
週刊読書人2021年3月5日号


 アルゼンチンの首都、ブエノスアイレスには推定で18万人ほどのユダヤ人が住んでいるという。彼らは遠い地からやってきて、いまブエノスアイレスで暮らしている。一口にユダヤ人といってもその歴史や背景は様々であり簡単にまとめることはできないとしても、ユダヤ人に対する自分のイメージは、「アンネの日記」、「シンドラーのリスト」にみられるような迫害された民族である、とか、そのために故郷から逃れて世界各地に暮らしている流浪の民である、とか、そういったものであった。追われた人々という印象が強いせいか、移り住んだ先でのユダヤ人の暮らしのイメージが全然なく、移民先に南米があったというのも意外だった。いったいどんなふうに暮らしているのだろう?タイトルの「それでもなおユダヤ人である」の意味とは?

 本書は、文化人類学者である著者が、フィールドワークとしてブエノスアイレスに住むユダヤ人と生活を共にしながら見聞きした言葉や体験をもとに、現代にディアスポラ(離散の民)として生きることについて考察した本である。

 著者は、2年近い歳月を、実際に4つのユダヤ家庭で暮らす。そこで出会ったアルゼンチンのユダヤ人たちは、ユダヤ人の歴史の長さと重みに比して、「ブエノスアイレスの自由で世俗的な空気を享受し軽やかに生きているように見えた」と著者は記す。「ユダヤ教の厳格な宗教法にもほとんど拘束されない」とも。彼らと共に暮らし始めた当初、想像以上に周りのアルゼンチン人と変わらない生活をしていることを実感したという。彼らはスペイン語を話す。義務教育のほかにユダヤ学校に通う人もいれば、通わない人もいる。クリスマスをカトリックの友人と祝う人や、ユダヤ暦の祭事にユダヤ人ではない知人を招く人がいるというエピソードも紹介される。閉鎖的で厳格というイメージからはなかなか想像しづらいことだ。このゆるやかさは、アルゼンチンがもともとさまざまな移民の集団から成り立つ国家であることにも由来しているという。

 では、境界があいまいなユダヤ人の暮らしの中で、彼らをユダヤ人たらしめているのは何なのか。著者は、共に暮らした日常からユダヤ的なもの、非ユダヤ的なものを丁寧により分け、整理、分析し、文化人類学の観点から論じていく。具体的な例をあげると、ユダヤ暦で重要な祭事に「過ぎ越し祭」がある。この行事ではハガダーという書物に従い儀礼を行う。旧約聖書時代の出来事に由来する食事を用意し、過去を再現する。毎年繰り返されるこの儀式は、おのずと歴史を想起させる役割を持っている、と著者は分析する。過去の記憶と今の体とを結びつけるかのようだ。

 ディアスポラとして生きるということは、よそから来たものとして生き続けることではないように見える。アルゼンチン人でもありユダヤ人でもある。彼らは二重のスタンダードを生きているのである。