縁食論 孤食と共食のあいだ
著 者:藤原辰史
出版社:ミシマ社
ISBN13:978-4-909394-43-9

「曖昧な空間」は縁側の魅力

図書館発!こんな本が面白い【書評提供:図書館流通センター(TRC)】

髙田祐子 / TRCライブラリー・アカデミー
週刊読書人2021年3月5日号


 共食とは食を通じて個人を集団に帰属させ、組織を維持・発展させる意味合いをもちその集団に属さない人たちを排除しかねない一面がある。食育基本法においては食の在り方として共食が推奨され、孤食を否定的にとらえている。家庭内での共食の意義としても、一方的に母親や女性らに向けて「食卓には母の手料理を」と投げかけられる風潮は、片寄りがあるのではないだろうか。できるなら家族で食卓を囲みたい親の思いとは裏腹に、孤食する子どもを見つけた時には「ひとりで食事をして可哀想。親は一体何をしている。」となる。働かざるを得ない状況を強いている、社会の側には批判は及ばない。

 孤食を克服する概念の一つとして共食があるが、私たちはこの言葉に期待しすぎではないか。一家団欒のイメージに囚われすぎてきたのではないか。孤食という険しい山を登り切れる集団は家族だけなのだろうか、と作者は問いかけてくる。凝り固まった家族絶対主義をほぐす、食の在り方とは何だろう。

 作者はまた、生きるうえで最低限必要な「食べる」ことが常に可能な、共同的オープンスペースを縁食の場所として充実させるべきと提案している。ベーシックインカムならぬベーシック・フード・サービスとして。そしてそれは「食べるため、食べさせるために働く人を減らし、仕事という概念を再構築させる」と展開され、唐突なようだが納得する。共食ほどべったりせず、孤食ほどさっぱりしていない場所。共食・孤食問題は現代では高齢者層においても重い問題であり、こうなるともうすべての人の問題である。これ以上、政治的・経済的な課題の解決を個人や家族に委ねられることのないよう、縁食の場がいかに必要かを優しく説いてくれる。

 決して貧困対策ということではなく、縁食の場には多機能性を持たせるべきである。ついでに何かもできる、くらいが丁度良い。それはまるで縁側のように開かれ、しなやかでゆるやかに人々を繫ぐ。誰もが何気なく遠慮なく訪れ、その人なりに人との接触を図り、関係性を感じられる居心地のよい空間へ。場は人が集うほど、どんどん成長するだろう。

 日本では、食べ物を余らせて廃棄処分している一方で、食べるものがないという人が存在する。どうにかこの矛盾を解決できないものか。流通を維持するために廃棄される食品。食べられるものが捨てられているという現実は、もう私たちの手で終わらせる必要があるのではないだろうか。食べるということが何なのか、もう一度考えなくてはならないだろう。

 奇しくも世界はコロナ禍となり、食の周りの景色も一変した。いまや、感染防止対策としての個食が勧められている。食が紡いできた人と人との縁はどうなってしまうのだろうか。しかし今こそ縁食の場が、最も必要とされている時であることは間違いない。自分にとっての「縁食の場」を再確認してみてはどうだろう。新たな「縁食の場」も生まれてくるのではないだろうか。