檸檬
著 者:梶井基次郎
出版社:新潮社
ISBN13:978-4-10-109601-8

檸檬

書評キャンパス―大学生がススメる本―

長谷川綾香 / 共立女子短期大学日本文学・表現コース1年
週刊読書人2021年3月5日号


 弾けた檸檬に爽快感を覚えた時に、私は梶井基次郎の作品に興味を持った。

「檸檬」は梶井作品の中でも有名なものだ。高校2年生の私は現代文の教科書に収録された聞き覚えのある題名が気になり、読んでみた。序盤に出てくる、主人公が強くひきつけられる「見すぼらしくて美しいもの」の描写や、びいどろのおはじきを嘗めてみるときの「幽かな涼しい味」に思いを巡らせる。「見すぼらしくて美しいもの」という言葉に、私は廃墟を思い浮かべた。私は廃墟の写真集を5冊持っているほどには、廃墟を見ることが好きだ。特に、廃教会の剝がれ落ちた壁画や枠だけのステンドグラスには退廃的な美を感じていた。梶井が表現したかった「見すぼらしくて美しいもの」は私が好きなものと通ずるところがあるのではないかと思うのだ。

 鬱屈とした雰囲気で作品が進んでいく中、あの場面が出てくる。書店・丸善で積み重ねた本の上に確かな冷たさと重さを持った檸檬を置いて出ていくというものだ。主人公のように檸檬が爆弾として弾ける様子を想像してみた。粉葉みじんになった建物に飛び散った檸檬は、鮮やかで目が覚めるような黄色の香りをふり撒いているだろう。主人公の日々の重苦しさを象徴する建物を、幸福な気持ちを与えてくれる檸檬で吹き飛ばす様子は非常に清々しい。その爽快さが読み終わった瞬間に眼前に広がるような気がして、私は梶井の別の作品も読みたくなった。

 この短編集には、表題作「檸檬」のほかに、「城のある町にて」「ある心の風景」「Kの昇天」「桜の樹の下には」「器楽的幻覚」「冬の蠅」「愛撫」など20の短編が収録されている。中でも私が好きな作品は「蒼穹」だ。

「蒼穹」は特に短い作品である。晩春の午後に「私」は村の街道に沿った土堤から景色を眺めている。そこには雲や野山、渓が広がっていた。静かで雄大な自然の様子が緻密に美しく描写され、文章を追っていく筆者も自然の風景に圧倒されるような心地になっていった。その風景から「私」はある闇夜を思い出す。闇夜に明かりを持たない人影が次第に闇の中に見えなくなっていく際、「私」が感じたのは「云い知れぬ恐怖と情熱」だった。「私」はその記憶が心をかすめた時に、「雲が湧き立っては消えていく空のなかにあったものは」虚無だと悟る。眼前に広がる自然の雄大さから、「私」は大きな不幸と虚無を感じたのだ。自然の描写と爽やかで晴れ渡るような風景が「虚無」を導き出す。短いページの中で「私」の感性が鮮明に表現されていて好きな作品だ。

 梶井作品にはどこか退廃的でありながらも爽快さを感じさせられる。一見相反したような表現は、梶井が持つ独自の感性の表れなのだろう。梶井作品を読めば、実生活で見落としがちな「見すぼらしくて美しいもの」を再確認できるのではないかと思う。梶井基次郎の感性に寄り添えたなら、何か一つこの世界で愛せるものが増えているかもしれない。

★はせがわ・あやか=共立女子短期大学日本文学・表現コース1年。趣味は読書、詩や短歌の創作。最近は日本近代の風景画鑑賞に興味を持ち始めた。東山魁夷の画集を見ることがマイブーム。