ジョン・レノン&オノ・ヨーコプレイボーイ・インタヴュー
著 者:デヴィッド・シェフ
出版社:シンコーミュージック・エンタテイメント
ISBN13:978-4-401-64959-4

二人の思想・実践・生活・回想の記録

批判と「やりなおし」のための裸のことば

忠聡太 / 福岡女学院大学人文学部講師・近現代文化史・ポピュラー音楽研究
週刊読書人2021年3月12日号


 ジョン・レノン没後四〇年の節目にあたる昨二〇二〇年末に発売された本書は、彼が妻のオノ・ヨーコとともに生前最後に受けた長期取材である『プレイボーイ』誌の記事にもとづき、一九八〇年九月時点での二人の思想・実践・生活・回想などを記録した一冊だ。決定版と銘打たれた今回のバージョンには、過去の版で割愛された記述と、当時取材を担当した著者のデイヴィッド・シェフが二〇二〇年に書き下ろした序文が追加されている。翻訳を担当した山川真里は、ビートルズ関連の書籍を多数訳出した実績があり、事実関係を考証した訳註も充実している。

しかし、レノンとオノ、あるいはビートルズ神話の補完を目的とせず、あくまで一冊のノンフィクションとして本書にふれると、その構成のとりとめのなさにとまどうだろう。その原因は、第一に雑誌用の取材を書籍化した本書の成立過程にある。通常、紙幅の限られた雑誌のインタビュー記事を担当する記者は、取材で得た膨大なテキストを綿密に厳選・再配置して記事を構成する。ところが本書は、史料的価値を重視してなるべく多くの証言を収録するために、いわゆる「文字起こし」を時系列に沿って再録しているのだ。ゆえに本書の読者は、ドキュメンタリー番組そのものではなく取材時に撮影された映像の大部分を順繰りにチェックするかのように、ページをめくることになる。

 さらに、著者のシェフの立場も取材の方向性を決定づけている。序文で感傷的に回顧されているように、シェフは一九五五年生まれの敬虔なビートルマニアとして青春をすごすも、オノと出会って以降のレノンの実験的な作風にはあまり関心を抱けなかったという。ビートルズ解散から約十年後の一九八〇年に、二五歳の駆け出しライターとして四〇歳のレノンと対面したシェフは、この取材でビートルズ再結成にむけた希望となる発言や、ビートルズの各楽曲に関する新たなエピソードをなんとか引き出そうと試みている。そのやりとりは取材の中盤以降に特に集中しており、近況をうかがって親密な関係を築いたのち、満を持してビートルズに関する決定的な新証言を得ようとするシェフの編集者としてのねらいとファンとしての熱意が読み取れるが、その期待をレノンは素っ気ない態度でふいにしていく。インタビュー公刊直後の銃殺という劇的な幕切れと、それによって生じた史料的価値がなければ、この後半部分はほとんどカットされていたかもしれない。

 それでもなお、レノン自身はこのインタビューを「唯一無二の参考資料」とみなし、太鼓判を押したという。その理由は、ここで明かされた過去に関する新証言の重要性ゆえのみならず、取材中に制作されていたオノとの共作アルバム『ダブル・ファンタジー』以降の二人のさまざまな可能性が、明晰に語られているからではないだろうか。本書でのレノンのことばは、熱狂的ファンのシェフを一対一で相手にするよりも、オノが同席している際の方があきらかにグルーヴがあり、意図的な未編集状態で世に問われた二人の対話から、読者は現在にもつながる一九八〇年代以降の世界を想像しなおすアイディアの原石の数々を発掘できるだろう。

 たとえば、オノとの別離と復縁を経て夫婦の役割をスイッチし、主夫として子育てに専念するようになったレノンは、男性中心の作品作家主義とスター崇拝を徹底的に批判し、フェミニズム的な視点から家族や社会との共生と共作に新たな活路を見出す。残念ながらレノン当人はその先の世界を生きられなかったが、こうした想像力は、女性蔑視発言で要職を辞した男性の後釜にすぐさま別の国粋主義的な男性が据えられそうになった、単一の「おっさんファンタジー」が支配する現代日本にこそ必要であろう。本書に記された裸のことばは、神話の補強ではなく、むしろその批判と「やりなおし」のためにある。(山川真理訳)(ちゅう・そうた=福岡女学院大学人文学部講師・近現代文化史・ポピュラー音楽研究)

★デヴィッド・シェフ
=これまでに七冊の著作を発表し、『ビューティフル・ボーイ』は、『ニューヨーク・タイムズ』ベストセラー・ランキング第一位を獲得。『ニューヨーク・タイムズ』『アウトサイド』など、多くの新聞・雑誌で執筆。