採集民俗論
著 者:野本寛一
出版社:昭和堂
ISBN13:978-4-8122-2006-1

人と自然の関係像の新たなデザイン

総七二〇ページの情報で日本の伝統的な資源管理を見直す

渡部圭一 / 琵琶湖博物館主任学芸員・日本民俗学
週刊読書人2021年3月19日号


 本書もまた、ユニークな民俗誌である。また、というのは、著者がすでに熊野山海民俗考(人文書院、一九九〇年)、海岸環境民俗論(白水社、一九九五年)、四万十川民俗誌(雄山閣出版、一九九九年)など、幾冊もの名著を世に送り、自然と人の関わりをとりあげた民俗誌の書き手として高い評価を受けているからである。そして本書『採集民俗論』は、オビの文句によれば「日本中を歩いた環境民俗学者の集大成」であるという。

 民俗誌の書き手は、フィールドの何らかの対象の「全体像」を描こうとするものである。無限の広がりがあると思える、人の暮らしというフィールドをまえに、民俗誌家は、高齢者への聞き取りという限定された方法でこれを切り取り、あるコンセプトのもとで再構成して、完結した世界を提示する。断片化された情報を並べ替え、束ね直し、物語を編み上げる芸、この独特のエディターシップというべきものが、野本氏の民俗誌の持ち味である。

 本書のコンセプトは何だろう。著者はこれまで「採集」が体系的に扱われてこなかったことに不満を漏らしている(一二~一三ページ)。たしかに漁撈や狩猟に比べ、従来の「採集」の扱いは手薄だった。これに対して本書は、第一章 木の実、第二章 根塊・鱗茎、第三章 山菜・野草、第四章 茸、第五章 海岸と採集、第六章 内陸小動物と、まさに網羅的な章立てを披露する。これは「採集」を切り口とした、人と自然の関係像の新たなデザインといえる。

 本書がどれほど徹底して網羅的かというのは、木の実の採取と食法をとりあげた第一章の細目を瞥見すれば十分であろう。トチを皮切りに、ナラ類としてコナラとミズナラ。多種あるカシ類からはアカガシ、シラカシ、ツクバネガシ、アラカシ、イチイガシ、美味で知られるウバメガシ。シイ類ではスダジイ、ツブラジイ、マテバシイ。つづいてブナ、クリ、クルミ類。ヤマブドウ・グミ・タブと液果を揃え、ソテツで締めくくるという流れである。

 いまや正月の栗きんとんか、せいぜい旅先の土産物でみかける栃餅か、といった存在感しかない木の実への見方は、本書を一読すれば一新されるはずだ。なかでもトチの項目は圧巻で、細やかな「あく」抜き技術をはじめ、豊凶に対応する貯蔵の技術、加工用具や施設、共有林での採取の解禁日(口あけ)や樹木の禁伐、実の配分のルール、そして初物を食する採集祝など、内容は多岐にわたる。木の実とは、ここまで厚い記述が可能な素材なのだ。

 本書が嗜好品としての木の実の相貌を描き出す点も新鮮である。不足する米を補うための代用食、あるいは飢えを一次的にしのぐ救荒食という貧困のイメージとは逆に、木の実は手間暇をかけたとくべつな食品の素材でもあった。著者は「山地に生きた人びとには山の恵みのさまざまな楽しみ方があった」(一五六ページ)と述べる。いわゆる「あく」抜きでは、食阻害要素を適度に残したほうが旨いとする現地の味覚の記述もおもしろい。

 一方、個別の食素材とは別に、本書全体を貫く著者の視点として、「採集」を具体的な語彙で肉付けしている点も重視したい。タニシや巻き貝を「拾う」とか、サワガニを「掘る」といった行動がそれにあたる。同じ貝でも、手足で拾えば採集だが、換金を狙って専用の道具でとれば漁撈になるわけだ。「採集」というジャンルが、自然資源と技術、集落の規範、市場といったさまざまな現地の文脈のなかに息づいていることに気付かされる。

 ところで、著者自身が述べているように、本書の対象は食べものの素材の獲得に絞られている(三ページ)。本書にはそのことを一瞬忘れさせるほどの質と量の記述が詰まっているのではあるが、たとえば著者が人と植物の「共生関係」を総体として説く場面では、ある種の制約に突き当たってしまう。これは環境民俗学のオピニオンリーダーのひとりとして、さまざまな議論を呼んできた点でもある。

 著者があげる、共有地で一定密度のトチ林が大切に仕立てられたり、特定の樹木が禁伐とされたりする場面では、たしかに木々の「保全」がはかられている。著者はこれを「人とトチの共生関係」(一一〇ページ)とよぶ。ではこれを食べもの以外、とくに燃料・肥料をとる山仕事(それも一種の「採集」である)と同列に扱ってよいか、となると難しい問題である。燃料や肥料と食べものとでは、植生への負荷のかかり方は比較にならないからである。

 じつは近世~近代日本の植生に関する近年の研究では、草肥(刈敷)などの採取によって、立木のない荒れた山が広がっていたことが明らかにされている。たとえば茸を扱った第四章では、マツタケをはじめアカマツ林の恵みが紹介されているが、それは一面では、林産物の過剰な利用のなかで現れた植生である。これを評して「人とアカマツの共生関係」(五五四ページ)というのは、ものごとのよい面を見すぎかもしれない。

 おそらく大切なのは、空間規模の大きい「植生」利用の歴史と、本書が扱う微視的な「植物」「樹木」利用の生活知の双方をよく知ることだろう。後者の視点に立たなくては、自然の恵みを「そのつど必要なだけいただくという謙虚さ」(六九七ページ)を見出せないことも事実だからである。日本の伝統的な資源管理を、より複雑で多層的なものとして見直していくための情報は、総七二〇ページのこの大著に、ぎっしりと詰まっている。(わたなべ・けいいち=琵琶湖博物館主任学芸員・日本民俗学)

★のもと・かんいち
=近畿大学名誉教授・日本民俗学。著書に『近代の記憶 民俗の変容と消滅』『生きもの民俗誌』『井上靖の原郷 伏流する民俗世界』など。一九三七年生。