アロハで猟師、はじめました
著 者:近藤康太郎
出版社:河出書房新社
ISBN13:978-4-309-02887-3

新聞記者、猟師になる。

図書館発!こんな本が面白い【書評提供:図書館流通センター(TRC)】

村瀬裕子 / 江戸川区立西葛西図書館(指定管理者)
週刊読書人2021年3月19日号


 私には狩猟免許を持つ知人がいる。聞いた時には「え、猟師になったの?」と驚いた。よくよく聞けば休日に罠猟を手伝う程度とのこと。地元の猟友会の人たちと山へ入り、罠を用いてイノシシを獲るのだそうだ。図書館に勤める私の日常とは遠く離れた猟の世界に興味を持った。本書を手に取ったのはそのためである。

 著者は渋谷生まれの新聞記者。ひょんなことから長崎で米作りを始め、イノシシによる農作物への被害を知り猟師となる道を選ぶ。本書はその体験記である。

 狩猟をするためにまず必要なのは銃や罠、檻などの道具ではない。免許だ。罠を使うなら罠猟免許、鉄砲を使うなら第一種銃猟免許に加えて警察から銃の所持許可も得なければならない。それぞれの免許の取得には大変な労苦がともなう。様々な書類を準備し、見聞きしたことのない鳥獣の区別を覚えて試験を受ける。銃の取り扱い、解体、組み立て、集団で猟に出たときの行動や所作などが細かくチェックされる。

 そうしてとった免許だが、辞めていく新人猟師は多いという。

 何故か。そもそも獲物に出会えないからである。

「初心者はまず鳥撃ちから」と教えを受けるも、鴨やキジがどこにいるのか分からない。先輩猟師が手取り足取り教えてくれるかというと、そういうわけでもない。猟師は基本的に皆がライバル。それぞれに縄張りがあり、自分の狩り場で猟をされることを好ましく思わないからだ。

 著者も葦の生い茂る草むらにひとり座り込み、何時間も寒空の下で獲物を待つ。たまに上空を飛ぶ鳥が見えても、それが撃って良い鳥なのか分からない(当たり前だが野生生物を何でも獲ってよいわけではなく、狩猟を許可された生物とそうではない生物の区別があるのだ)。それらしき姿を見かけても、急いで近づいた時には鳥の姿はどこにもない。いつ飛び立ったのか、それすらも分からなかったという。

 早朝から重い銃を持って山に入り、何の成果もなく帰宅する毎日が変わったのは、狩猟を教えてくれる師匠に出会ったためだ。行動を共にし、獲物の見つけ方、後始末、獲物の解体などを学んでいく。

 昨今ニュースで見聞きするように獣害は深刻な問題となっている。しかし、作中でも言及されているが、撃つことは命を奪うことだ。猟に出れば人間にも命の危険がある。撃ち落とした鴨を探して底なし沼にはまることもあれば、イノシシに追いかけられることもある。猟は命のやり取りで、残酷であることを著者は否定しない。だからこそ、「せっかく捧げてくれた命をおいしく食べないと、二重三重にわが罪は重くなる」と著者は言う。その言葉には野生動物の命と向き合う生身の人間としての強い実感がこめられている。