絶滅危惧個人商店
著 者:井上理津子
出版社:筑摩書房
ISBN13:978-4-480-81856-0

個人商店ならではの商いとドラマ

活字とイラストで残す、庶民文化の貴重な一冊

本橋信宏 / ノンフィクション作家
週刊読書人2021年3月26日号


 本来なら私が書きたかった。

 しかし書き手が井上理津子なら仕方がない。

 なにしろ私の「異界・アンダーグラウンド」シリーズの一作目となった「鶯谷」は、井上理津子著『さいごの色街 飛田』に刺激された編集者からの発案だったのだから。

 そして本書である。

 昭和三〇年代は、個人商店の黄金時代だった。主婦は買い物カゴを下げて、近所の個人商店で夕飯のおかずやおやつ、味噌醬油、靴下や下着を買ったものだった。

 大型スーパー、コンビニの出現で、個人商店は絶滅危惧産業になってしまう。

 本書は著者が滅び行く種に対して、活字とイラストで残しておこうという、保存されざる庶民文化の貴重な一冊である。

「モンペは、戦争中に女の人が着物の上から履いて、そのまま走って逃げるために考えられたものなんですよ。だから、上はダブダブで、下は詰まっている」(吉祥寺ハモニカ横丁のジーンズショップ「ウエスタン」)。

 モンペといういまでは見かけなくなった女性の労働着の出自が、個人商店主の口から紐解かれる。

 神田神保町の「ミマツ靴店」は改装するとき、床を御影石にするかどうかで揉めたが、いざ御影石にしたところ高級感が出ただけではなく掃除しやすくなって好評だったという。こんなリアルなビジネスモデルは個人商店でなければ拾えないだろう。

 板橋区成増の「谷口質店」は明治三六年、山谷浅草町で創業した古い店だが、戦前の震災と戦災で板橋区成増に移転、すぐ近くに米軍が接収したグランドハイツというキャンプ施設があった。

 米兵が聴いていた洋楽レコードが質店に持ちこまれる。時代の最先端を行く洋楽が質店にあふれ、音楽センスが磨かれた店主はプロのバンドメンバーとしてデビューした。個人商店と客とが、商いによって昇華した。

 昭和三〇年代の個人商店の興隆ぶりは、戦後焼け跡から再スタートをきった都下在住の若手と、地方から仕事を求めて上京した若手が念願かなって個人商店主になった、二つの流れがあることが本書でわかる。

 いまでは見かけなくなった個人商店ならではの商いも記録されている。

 たとえば、「そうなの。このへん、朝はね、『あさり~』『しじみ~』っていう物売りの声が、目覚ましがわりに聞こえたの。その次が『ナットナットー、ナット』って納豆売りが来て、それから新聞配達の音。最後に、ぷーぷーとラッパを鳴らして豆腐売りが来て……」(荒川区日暮里の佃煮「中野屋」)。

 風情ある早朝の音だった。

 年末になると、印刷所の社長が若い従業員五、六人を連れて神保町の「ミマツ靴店」にやってくる。社長が靴を新調させて正月休みに従業員を田舎に帰省させるのだった。

 こんな濃密な習わしもいまではもう見かけない。

 個人商店にはその数だけドラマが埋まっている。

 私の仕事場、高田馬場にあった古い家具屋の店主が「昭和三年だか四年だか、乱歩さんちに大きな机運びましたよ」とぽつりと言っていた。江戸川乱歩が短期間経営していた下宿屋緑館の書斎に運んだのだろう。

 四〇年程前、神保町の蕎麦屋に入ったとき、六〇代の粋のいい店主が「披露宴(しろうえん)出るんで日比谷(しびや)まで行ったらよお」と、〝ひ〟と〝し〟の発音が入れ替わる下町の江戸弁を話していた。

 本物の江戸っ子がまだいた、と感激したものだ。

 昔、文房具店か定食屋、書店をやっていたであろう店が朽ち果てて、都内のあちこちで風雨にさらされている。

 だからこそ続編が待ち望まれるのだ。(もとはし・のぶひろ=ノンフィクション作家)

★いのうえ・りつこ
=フリーライター。人物ルポや旅、酒場、性や死ををテーマに執筆。著書に『さいごの色街 飛田』『葬送の仕事師たち』『大阪下町酒場列伝』など。一九五五年生。