この星の絵の具 中 ダーフハース通り52
著 者:小林正人
出版社:ART DIVER
ISBN13:978-4-908122-17-0

画家が言葉の絵の具で描く
自伝的ビルドゥングスロマン

楠見清 / 美術編集者・評論家・東京都立大学准教授
週刊読書人2021年4月2日号


 画家の小林正人の書き下ろしによる自伝小説三部作の第二弾は、二年前に刊行された上巻と同様書き下ろしなのに著者本人の希望で最初から文庫本の体裁をしている。上巻の第一ページにある「いつも絵の具をポケットに入れて歩いていた」という一文にならえば、この本もポケットに入れて街のあちこちで読むのがふさわしい。そんな形をしている。

 小林は自身の画歴を書物にまとめるにあたってビルドゥングスロマンという形式を選択した。この画家を知る美術界隈はまずその意外性に驚かされた。上巻「一橋大学の木の下で」では一九八五年から九五年まで──東京藝大を卒業後大作へと挑んでいく青年期が。そして今回上梓された中巻「ダーフハース通り52」では九六年から二〇〇三年まで──世界的に著名なキュレーター・ヤン・フートに招かれて渡欧後初めての異国で創作に没頭する日々が綴られる。これは自伝ではあるが回想録ではない。著者はビルドゥングスロマンの主人公と一体化しながらつねに現在の時制で見たものや考えたことを書き下ろしていく。

 しかも一人称は「俺」である。漱石の『坊っちゃん』の「おれ」語りが小説に読者を引き込むように、『この星の絵の具』の「俺」語りは異国の地で見たことや考えたことをそのままの言葉で読者の中に下ろしてくる。これは小説なのか日記なのか手紙なのか独白なのかドキュメンタリーなのかそれともファンタジーなのか何なのか──おそらくそのすべてであることを意図して書かれている。もはや美術界に留めておく本ではない問題作に違いない。

 ところで、画家にとって言葉はどこまで必要なのだろうか。そもそも美術は言語表現では伝えられないものごとを、視覚を中心とした知覚体験として提示するものだ。優れた作品を前にして言葉を失うほどに全身が打ち震えるとき私たちはまさに言葉を超えた──つまりは超絶的なまでに非言語的な感銘で、作者やそれを超えた何かとつながれる。

 そして、小林正人の作品はまさにそういった啓示的な体験を形にしようとするものだ。この本の中でそれは「光」と呼ばれ主人公の探り求めるテーマとして頻出する。絵画とは絵の具を光に変えること──そのために小林は現代の画家としては珍しく天使やヌードといった古典的な画題を掲げる反面、絵画そのものの在り方に大きく手を加えていく。

 表紙カバーの写真は何やら壊された絵のように見えるかもしれないが、これも小林正人の作品だ。ばらばらの木枠を組み立てながら同時に張られるキャンヴァスに筆ではなく手で絵の具を擦り付けるようにして描く──既存の描画法では自分の求める「光」を描くことができないと考えた末に生み出した独自の技法。初めて見た人はそれまでの絵の概念を根底から覆されるに違いない。平面であり矩形であるといった絵画の常識や形式を打ち破り、画家が筆先ではなく全身で格闘するように組み上げた不安定なフォルムが、重力に抗うように微妙なバランスで自立している。生まれたばかりの仔馬が脚を広げて立ち上がろうとするかのような緊張感はまさに〈絵画の子〉が誕生する瞬間を生なましく具現化している。

 このように絵画を解体し再構築することで絵画そのものの発生を辿るという小林の手法はじつに本書の在り方にも共通している──これは上巻だけでは見通せなかったが中巻まで読むことで明らかになってきた新しいアングルだ。小林が自らの絵画制作について語るにあたって理論書でも技法書でも解説書でもなく、自伝小説を三部作で書き下ろしていくというスタイルを選んだのは、過去の自分を現在から修正することなく本当のことを書くためだという。

 一人称のビルドゥングスロマンなら若い頃の自分の考えや行動を恥ずかしがらずに書ける、三部作なら続きがあるから書ける、と小林本人から聞かされた私がふと連想したのはセザンヌのことだ。セザンヌは油彩と水彩合わせて八十枚ものサント=ヴィクトワール山の絵を残しているが、いずれも描写し尽くさず途中でやめることでそれぞれが連なり総体的な画業としての完成をみたといえるだろう。本書の終盤にはまさに「画の完成の仕方」と題した章があり、どこからどこまでが画なのか、そしてフレームによる切り取り方の話など小林の絵画論のひとつの到達点が記されている。
 この小説はこの画家が言葉の絵の具で描く画、自画像にも見える。それも、時間的・空間的な遍歴や思考と行為の変遷や時代や環境のすべてを写しとった光の絵画。美しい小説だと言おう。(くすみ・きよし=美術編集者・評論家・東京都立大学准教授)

★こばやし・まさと
=東京藝術大学美術学部油画専攻卒業。一九九六年サンパウロビエンナーレ日本代表。一九九七年キュレーターヤン・フート氏に招かれ渡欧。二〇〇六年に帰国。主な個展に「小林正人展」宮城県美術館(二〇〇〇)など。一九五七年生。