異性装の冒険者 アメリカ大衆小説にみるスーパーウーマンの系譜
著 者:山口ヨシ子
出版社:彩流社
ISBN13:978-4-7791-2729-8

「真の女性らしさ」とはなにか

「女性の領域」を軽々と踏み越えるヒロインたち

大串尚代 / 慶應義塾大学教授・アメリカ文学
週刊読書人2021年4月9日号


 一九世紀のアメリカ女性に求められていたのは、敬虔、純潔、従順、家庭性と言われる。このことは批評家バーバラ・ウェルターが一九六六年に論文「真の女性らしさの神話」を発表して以来、アメリカ女性研究の上でひとつの前提となってきた。文学作品にもこうした女性像が描かれることは少なくない。

 しかし一方で、一八六八年に大ヒットした『若草物語』のジョー・マーチに典型的に示されるように、「女性らしさ」を逸脱したヒロインも描かれている。ジョーにいたっては、ポケットに手を入れ口笛を吹き、レディらしくないとたしなめられると「だからやってるのさ」と言い返すほどだ。だが、ジョーのようなキャラクターは、突然に生まれたわけではない。実は、規範を踏み越える女性たちは、ジョーが誕生する前に、主に大衆小説というエンターテインメント作品の中でひとつの系譜をなしていた。このことを明らかにしたのが、山口ヨシ子氏の新著『異性装の冒険者』である。

 本書は、一九世紀アメリカ女性文学を研究し続けている山口氏が、これまで刊行した『ダイムノヴェルのアメリカ』(彩流社、二○一三年)、『ワーキングガールのアメリカ』(彩流社、二○一五年)とあわせ、三部作をなす研究書である。アメリカ文学史の正典からはこぼれ落ちる作家を拾い上げ、大衆読者の歴史とともに作品を読み解く、という山口氏の一貫した姿勢は、本書『異性装の冒険者』でも健在だ。

 一九世紀にベストセラー作家として人気を博したものの、文学研究からは排除されてきたE・D・E・N・サウスワースの『見えざる手』(一八五九年)を通奏低音として、大衆小説史に華麗に登場してきた女性冒険者たちを次々に論じていく本書は、それぞれ読み応えたっぷりの五章から構成される。サウスワースの『見えざる手』における男装を論じた第一章、パンフレット小説に登場する戦うヒロインの系譜を考察した第二章があり、そこにパンフレット小説におけるキャリアウーマンを扱った第三章が続く。第四章では、一九世紀半ばにマニフェスト・デスティニーの名の下に領土を拡張していくアメリカが直面したアメリカ・メキシコ戦争を背景とした冒険小説と女性読者を、そして最終章では、これまで論じられてきた大衆小説の異装のヒロインたちが、ジョー・マーチのような「おてんば娘」へと繫がっていく議論が展開される。

 中でも「女性戦士物語の系譜」が明らかにされる第二章は、本書の白眉といえるだろう。一般的な文学史では言及されることの少ないパンフレット小説は、いわば読み捨てられるようなジャンルと言えるが、そこで生産される物語こそ、大衆の欲していたものであり、その中に「女性の領域」を軽々と踏み越えるヒロインがいたことがわかる。この現象は一九世紀になって始まったものではなく、一七世紀の捕囚体験物語にその源をたどり、さらにこうした系譜が原題のワンダーウーマンをはじめとするスーパーウーマン像へと引き継がれているという考察は、ひじょうにスリリングだ。

「真の女性らしさ」とはなんなのか。本書は一九世紀アメリカで描かれた女性像の多様さを明らかにする。詳細なリサーチと取り扱うテクストの幅広さ、そして歴史的な視座に基づいた考察がなされた本書は、本邦における一九世紀アメリカ女性作家研究の到達点であり、今後この研究分野において必ず参照されるべき研究書に間違いない。多くの画像も収録され、巻末の引用文献も充実している『異性装の冒険者』は、いつも手元に置き、読み返したい一冊である。(おおぐし・ひさよ=慶應義塾大学教授・アメリカ文学)

★やまぐち・よしこ
=神奈川大学名誉教授・アメリカ文学研究者。著書に『女詐欺師たちのアメリカ 十九世紀女性作家とジャーナリズム』『アメリカ文学にみる女性改革者たち』(共編著)など。