「共食」の社会史
著 者:原田信男
出版社:藤原書店
ISBN13:978-4-86578-297-4

会食に歴史あり

図書館発!こんな本が面白い【書評提供:図書館流通センター(TRC)】

渋谷有希子 / TRCデータ部
週刊読書人2021年4月23日号


「同じ釜の飯を食う」ということわざがある。長い期間を一緒に暮らし、色々な体験を共にした親しい仲間であることを指す。同じ時間に同じ場所で同じようなものを食べる、つまり食を共有すること=共食はお互いの親近感を強める作用があると言える。この言葉の実態は「日本書紀」によると、古代6世紀には存在していたらしい。

 著者の原田信男氏は史学博士。本書では日本での絆としての共食の展開を検討しつつ、食べるという行為の在り方から日本における社会関係の変容を古代から近代まで歴史的に見ていく。

 中世において〝一味〟と言われた、共通のものを全員が食べる共食によって心を通じ合わせることは、中世社会では広くみられたそうだ。自治的な組織である町組や惣村では、運営にあたり定例の会合で饗膳を囲みながら組織の取り決めが承認されていた。中世後期の一揆の時代に、共食は連携を強めるのに不可欠だったことは腑に落ちた。

 近世になり中央集権の社会が成立すると、地域集団として一味同心の徒党を組まれることは支配者側の忌み嫌うところとなり、悪党一味と言う語が社会的には浸透してしまった。否定的な意味合いに用いたのは織田信長ではないか、と指摘する文献も紹介されている。その後、中央政権の支配関係の浸透により、共食の場で法令の読み聞かせが行われるように変化していった。自治組織の横の繫がりが幕府支配の末端に組み込まれた形ではあるが、時の支配者も共食の形を禁ずる考えはなかったようだ。

 と、ここまでは平民の話。一方、貴族の共食はと言うと参加者、食事作法が厳格な儀式となっていた。古文書から内大臣の大饗の記録が紹介されていて、着座図は母屋に主客、公卿と身分順に主客から遠ざかるような席順であり庭まで席が設けられていた。そして料理は品数、メニューや食器に至るまで身分に応じて異なっていた。著者は身分秩序を可視化したものと言っているが、貴族でない身からするとこの共食で絆ができるのか首をかしげてしまったのだが。

 その後、武家社会になると共食の着順は、主従制という武士の身分制にこだわりながら、身分集団ごとの共食の輪を征夷大将軍からの距離に応じて設けられる形に変化している。江戸時代には将軍が客人との共食を避ける時期も見られるが、それは威厳を保つために行われたらしい。それだけ共食には人間関係を近づける要素が見出されていたのかもしれない。

 共食で大きな変容が見られるのは近代で、個(孤)食の出現である。その極め付きが2020年のコロナ禍だ。感染症の流行で人との接触が規制され、会食が自粛を促される事態が来ようとは誰も想像しなかっただろう。その中でリモート飲み会など、場所を共有してはいないが、これも共食の変容と著者は言っている。

 コロナ前は一緒に食事をするという行為について深く考えたことはなかったが、時代ごとに意味を変えながら続いてきた文化であることが分かった。文化の存続のためにも、後ろめたさを感じることなく共食ができる日が来るのを待ちたい。