日々の子どもたち あるいは366篇の世界史
著 者:エドゥアルド・ガレアーノ
出版社:岩波書店
ISBN13:978-4-00-024540-1

私とあなたの一日も、ここにある

図書館発!こんな本が面白い【書評提供:図書館流通センター(TRC)】

横川昌代 / TRC物流管理部
週刊読書人2021年4月23日号


 ふいに霧が立ち込めて道を見失ったと思ったら、突然霧が晴れ渡り抜けるような青空が広がっていた、とでもいうように目を覚まされる。本書のような出会いをすると、世界を知るには一生分の時間では到底足りないと途方に暮れてしまう。

 本書の作りはシンプルで、「今日は何の日」形式をとりながら、史実に基づいた短い話が閏年の366日分収められている。教えてくれる「何の日」は、日本を含む国々の過去から最近まで、その多くは残虐非道な歴史に埋もれた、初めて知る史実である。ラテンアメリカ文学特有のマジックリアリズムをふわりと纏って、日常と非日常の境目を辿るように「いつかの誰か」の一日が綴られていく。

 自らを「言葉の泥棒」と言っていたそうな、エドゥアルド・ガレアーノはウルグアイ出身の作家である。ジャーナリストからスタートし、母国の軍事クーデターにより投獄され後に亡命。隣国アルゼンチンで文芸誌を創刊し精力的に活動しながらも、軍事クーデターにより再びの亡命を余儀なくされる。波乱万丈な人生を送りながらも、独学で学ぶことを諦めなかった。

 ガレアーノを知っていても知らなくても、本書を数ページぱらぱらとめくってみてほしい。この情熱の人は、良いことも悪いことも含む私たちの世界から、見えない存在とされた人を掬い上げ、息を吹き返しなさいとでもいうように、時の流れへ戻す作業を黙々と続ける。史実へ向けられた眼差しひとつで世界の見え方が変わるとしたら、本書は「弱者」をテーマにした叙事詩のようでもある。

 訳者により選び抜かれた言葉の効果も忘れてはならない。私たちに流れている血はあたたかく、流れる誰かの血と同じようにあたたかいのだ、と呼び起こす読後感と共に、海外の作品を母国語で味わう静かな喜びも届けてくれる。エピグラフにはタイトルに繫がるマヤ神話の断片が掲げられていて、込められた意味は訳者のあとがきで知ることができるが、通読した後でエピグラフに戻ると、ガレアーノから優しく声をかけられたような気持ちになる。今ここで文字が読めるということは、それだけでとても豊かでかけがえのない日々を生きているのだよ、と。

 図書館の用語に「件名」というものがある。ざっくりいえば「探すときの手がかりとして約束された共通の言葉」だが、知りたいという欲求を携えて、この約束された言葉を元に探っていくと、思いがけない方へ導かれ、縮こまっていた世界がぐいっと引き伸ばされていく時がある。

 本書の世界観を知るために、自分だけの件名を勝手に作ってみるのも楽しい。たとえば1月28日「読書、識字」。3月2日「口笛、言語」。4月23日「本の日、作家」。「学び」「トホラバル語」「演劇」「ボブ・マーリィ」「行方不明者」「アッタール」といった具合に。これらを手がかりに探ったら、日々の連なりの道中で、さっと霧が晴れる時があるかもしれない。生きている限り、読み続けていればどこにいても大丈夫だと、肩をつかんで励まされるような愛を受け取る本である。