阿修羅草紙
著 者:武内涼
出版社:新潮社
ISBN13:978-4-10-350643-0

心を狂わせるもの、それは草紙か人の欲か。
息もつかせぬ忍者達の死闘の果てにあるものとは…

図書館発!こんな本が面白い【書評提供:図書館流通センター(TRC)】

本山晶子 / 青梅市中央図書館(指定管理者)
週刊読書人2021年5月7日号


時は文正元年(一四六六年)応仁の乱前夜。既に、時の室町幕府将軍足利義政の権威は衰え、花の御所では有力大名の山名宗全と細川勝元が睨み合い、将軍側近の伊勢守がそれらを追い落とそうと虎視眈々と狙っている。と同時に、将軍の跡目を弟義視と妻日野富子が産んだ息子が争い、各地では武士同士の衝突や寺社領の横領、それを諫める将軍の命を公然と無視する大領主達が増え始めていた。その代表格が西近江の殆どを荘園とする比叡山延暦寺。その延暦寺に仕える忍者である八瀬童子のくノ一、すがるがこの物語の主人公である。すがるの父は里で一番の乱破である般若丸。すがるは女性であるが故の哀しい過去を持ち、その過去の為に誰にも心を許すことなく、只ひたすらに修行を積み、今では里の若者の中で随一と言われる程の腕前になっていた。

比叡山には門外不出、その存在すら他に知られてはならない宝物、阿修羅草紙が保管されていた。それが何者かに盗み出されてしまうところから物語は始まる。阿修羅草紙を守っていた父や八瀬の仲間が殺され、復讐と草紙の奪還を誓うすがる。読む人の心を狂わせ、戦乱へ導くという魔性の草紙。これを見て中国の何人もの皇帝が乱心して国を滅ぼし、幾人もの佞臣の反乱の引き金になるも、捨てたり破ったりする者には大きな災いをもたらすという忌まわしき阿修羅草紙を追って、すがるは伊賀の音無達と風雲急を告げる京へと向かうことになる。そこで出会う凄腕の敵たち、毒姫や飯母呂三方鬼。最高峰の忍術を極めた者同士がそれぞれの信念を賭けて、数多の仲間を失いながら文字通り死闘を繰り広げていく。山名や伊勢守、細川達に草紙を与えては奪いながらも姿を見せず、お互いの疑心暗鬼を煽っていく謎の黒幕の意図は一体何なのか。全く痕跡を残さず、まるで影のようなその黒幕へと、果たしてすがるは辿り着くことが出来るのか…。

 すがるがくノ一になるきっかけとなる出来事が、まず悲しい。踏みにじる側にとっては一時の事、あっという間に忘れてしまう出来事でも、踏みにじられた側にとっては一生を左右してしまう悪夢であり、これは現代においても決して変わることのない事実である。そして誰にも顧みられることのない沢山の無力な無辜の民達。彼らは権力者達の勢力争いのゲームの中で搾取され、見捨てられて声も無く死んでいく。声を上げることを許されなかった忍者とこの民達とは、歴史の中では等しく存在しないものとされてしまうのかもしれない。しかし、彼らもまた誰かにとっての大切な存在であり、それぞれが尊い命だったはずである。蹂躙される哀しみ故に、力が欲しいと懸命に強くなろうとするすがるの姿はその無力な民達と重なり、彼らの持つ運命の過酷さと生きる試練とを考えずにはいられない。だがすがるは、どこまでも前を向いて歩いていこうとする。そこに、私は人間の持つ一筋の光を見ることが出来ると思うのだ。