言葉と衣服
著 者:蘆田裕史
出版社:アダチプレス
ISBN13:978-4-908251-13-9

ファッションという不思議の箱をあけたら

小形道正 / 京都服飾文化研究財団研究員・社会学
週刊読書人2021年5月7日号


 ファッションとは近くて遠い。わたしたちの日々の生活のなかでもっとも物質的に身近な対象であり、それを好き/嫌い、似合う/似合わないなどと容易に語りがちだが、いざ改めてそれについて思考し向き合ってみると、これほど茫茫として語り難いものもない。本書はそんな咫尺(しせき)かつ遼遠なファッションに、また、それにまつわるいくつかの言葉――デザイン(第一章)、スタイル(第二章)、モダニズム(第三章)、身体(第四章)――に光をあて、読み解いてゆくものである。

 たとえば、デザインの章。そこではまずファッションが服装の流行であり、一方、ファッション・デザインがデザイナーによって制作された衣服であると弁別されたうえで、ヴィクター・パパネックらの言葉をひきながら、デザインが一般的な外観という意味ではなく、人間の思考や構想を指し、問題を解決する行為であることが記される。同時に、このようにして得られた視点を通して、従来の多くのファッション・ブランドが香水やセカンドラインといった記号を売ることでビジネス的問題を解決してきたことを批判しつつ、毎月2型ずつ新たな商品を発表することで生産のサイクルと自らの価値を毀損するセールという現行を変えようするスズキタカユキや、ストッキングに柄をプリントすることで外観の新しさだけではなく産業の需要の問題にまで視野に入れ貢献するプロエフなどの、新たな「ブランドのデザイン」(58頁)の取り組みを紹介する。

 あるいは、スタイルの章。そこではスタイルが一般的なシルエットを意味するものではなく、「トップス+ボトムス+靴」の統辞と範列によってある種の型を作り上げるコーディネートであることが述べられる。そして、そのことによってシルエットとしては同時代のブランドと変わらないものの模造宝石のアクセサリーやポケットの配置によるコーディネートから当時のシャネルを再評価し、同時に、「シルエット的にはごく普通」(88頁)ながらも各アイテムの組み合わせに妙をみせるファセッタズムの実践をとりあげる。

 このように、著者はさまざまな言葉に適したものさしをはかりなおしながら、近年の新しいファッション・デザイナーたちの、とくに若手の日本人デザイナーたちの試みを積極的に評価してゆく。わたしは本書の優れた点、あるいは著者が度々現状を批判しながらも希求するファッション・デザイン・・・・批評の可能性とはまさにその点にあるように思う。もちろんいくつかの疑問もあり、たとえば著者自身もあとがきにて明記しているが、第一章から第三章までの連載分と第四章の加筆分は毛色の違うものかもしれない。事実、はじめにでは「インターネットは、新たな身体を生み出した」(17頁)とする一方で、第四章では「衣服を潜在的な身体と捉えることが可能になったのは、ヴァーチャル空間が誕生したからではない」(158頁)とあり、この身体をめぐる両者の帰結の差異はどこから生じてくるのだろうか。けれども、さきの本書の可能性にたってみると、より考えてみなければならないのは、あるいは本書に線を引くのであるとすれば、それは第三章にあるといえよう。

 モダニズムの章(正確にはアヴァンギャルドの章といった方がよいかもしれない)。そこではモダニズムをたんに装飾の排除として解するのではなく、またクレメント・グリーンバーグが主張した絵画の平面性の追求のように事象の固有性の純化として、つまり衣服を皮膚ならざる皮膚として捉えるのでもなく、従来の歴史や伝統をも否定するたゆまぬ自己批判による新しさとして考えている。だが、それ以前の章の形式とは異なり(すなわち第四章と同じく)、そのようにして導き出された定義から、現在のファッション・デザイナーの名は積極的には挙げられていない。

 またここでは、最終的にファッションというモノとシステムの2つの新しさが展開されており、著者は「そのような新しさなどもはや存在しえないと考えることもせずに」(134頁)と前者を否定しながら、そこから抜け出せる手段として、「毎シーズン新作をファッションショーで発表する現行のシステムから脱却することが必要」(135頁)であると後者の重要性を説く。けれども、わたしたちははたしてそのような新しさを本当に新しさとして感じることができるのだろうか。少なくとも、それは一体誰にとっての新しさなのだろうか。

 デザイナーをしてその新しさとファッションを綴ってきたのは、ほかならぬ言葉である。もしもそれがデザイナーと結びつかないのであれば、新たなファッション批評を、研究を、あるいは展覧会を紡いでいくことが必要なのかもしれない。ファッションに携わるひとりであるわたしも、さまざまな場面で多くそうした苦慮する機会に遭遇する。またそれは決してファッション・デザイン・・・・批評の死を意味するものでもない。とかくファッションは語り易く語り難い。(おがた・みちまさ=京都服飾文化研究財団研究員・社会学)

★あしだ・ひろし
=京都精華大学ポピュラーカルチャー学部准教授・ファッション論・服飾史・美術史。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程単位取得退学。一九七八年生。