恋する日本史
著 者:『日本歴史』編集委員会(編)
出版社:吉川弘文館
ISBN13:978-4-642-08394-2

歴史学、「恋」をひも解く

行間から滲み出す多様な恋愛のあり方

福留真紀 / 東京工業大学准教授・日本近世史
週刊読書人2021年5月14日号


 史料を論理的に分析する「歴史学」が、それらとは対極にあるような「恋」をどう語るのだろう。

 本書のもととなった、日本歴史学会編集『日本歴史』二〇二〇年一月号(第八六〇号)新年特集の「恋する日本史」という表題を最初に目にした時、非常に好奇心をかき立てられたことを記憶している。本書は、その書籍化で、特集号より八編増え、古代から近現代までの二二編の論文を所収。万葉びと、密通、大奥女中、駆落・心中、勤王芸者、軍隊、同性愛など、多彩な切り口から、「恋」が歴史学・国文学の研究者により、考察されている。

 本書では、「はじめに」で、恋愛のあり方は個人の数だけ多様である一方、社会の状況や他者の視線のあり方には、属する社会や時代のあり方に規定される部分があることから、その中で、「恋する」個人の振る舞いや葛藤のあり方にもさまざまに影響が及ぶ点を指摘している。「歴史学」で「恋」を語る意義である。

 特に印象的な論文を、四編紹介したい。

 まず、三上喜孝「古代史はLGBTを語れるか」は、昨今、社会的に注目されているLGBTについて、古代史から考察することを試みている。①LGBTの概念は古代史に有効か②ジェンダー史研究とLGBT③実証的解明の限界④性的指向の認識を読みとる、の四つのテーマからなり、ジェンダー史の今後の課題を示す、意欲的な論文である。

 野口華世「院政期の恋愛スキャンダル 「叔父子」説と待賢門院璋子を中心に」は、有名な待賢門院璋子と白河院の密通と、それによる崇徳天皇「叔父子」説をテーマとしている。主に政治史的視点から行われてきた、これまでの研究を、明解かつ丁寧に整理した上で、その説が「どのようなものとして語られていたのか」という別の視点から、再考しており、このスキャンダルの本質が、非常によく理解できる。「証明しようのないことを云々するよりも、その「噂」が歴史的にどのような機能を果たしていたのかを考えるべき段階である」という筆者の指摘は、この種のテーマの多くに該当するものではないだろうか。

 松澤克行「ある宮家の「恋」」には、有栖川宮職仁親王が「恋」し続けた菖蒲小路という女性が登場する。彼女は、職仁親王の十一人の子供のうち、五人の生母であり、その中には継嗣の織仁親王もいたのだが、生涯で複数回の密通事件を起こしている。しかし、職仁親王はその都度許し、最期まで彼女を手放さず、親王の希望で、その死後、菖蒲小路は剃髪して、親王の菩提を弔った。事実は小説より奇なり。史料から炙り出される魔性の女と、亡くなるまで彼女にひたすら「恋」をした親王の姿は、迫力をもって読者に迫ってくる。

 綿抜豊昭「〈恋文集〉について」は、文化期から幕末にかけての「恋」を主題とした往来物を取り上げる。これは、「恋」をしている人にとっては実用書であり、そうでない人にとっても「書簡体」の「恋愛小説」として読まれたという。そこには、恋占いや、もし恋文を落としても他人に読まれないための「横読み」の書き方、女性の口説き方なども記されており、読むほどに、近世の人々との距離がぐっと近づくような不思議な感覚に包まれる。

「はじめに」では、歴史学において「個人の心情の絡む問題をきちんと論じることは、必ずしも容易なことではない」と述べられ、当然ながら、多くの執筆者が抑制的な筆致で「恋」を論じている印象を受ける。しかし、その行間から、それぞれの時代の「恋」の姿が、じわじわと滲み出しており、史料を読み解く面白さを再確認させられると共に、新たな歴史学や国文学の研究の可能性を感じさせる。(ふくとめ・まき=東京工業大学准教授・日本近世史)