バリ島の影絵人形芝居ワヤン
著 者:梅田英春
出版社:めこん
ISBN13:978-4-8396-0320-5

幕の向こうは千紫万紅

図書館発!こんな本が面白い【書評提供:図書館流通センター(TRC)】

西村幸子 / 練馬区立南田中図書館(指定管理者)
週刊読書人2021年5月21日号


「ワヤン・クリッ」と聞いて、それが何であるかを即座に理解できる人は決して多くないかもしれない。それでも、本書の「ファン待望の書」という惹句は決して誇張ではない。

 ワヤンとは、インドネシアの主にジャワ島やバリ島、ロンボック島で行われる伝統的な芝居の名称で、人間が演じるワヤン・オランや、木偶人形を用いるワヤン・ゴレ、仮面劇ワヤン・トペンなどの種類がある。「クリッ」は皮革の意で、水牛や牛の皮を精緻に彫刻した影絵人形を用いた芝居を「ワヤン・クリッ」という。

 本書はその中でもバリ島で使われる人形を収めた図鑑である。民族音楽学者として研究に携わる傍ら、ワヤン・クリッの演者としても活動を続けてきた梅田英春氏の、およそ四十年に渡る実績が結実した一冊だ。新保韻香氏が手掛けた鮮やかな装幀が美しく、読者をたちまち異国の空気の中へと誘ってくれる。

 ワヤン人形の図鑑といえば、日本ワヤン協会の主宰者として知られる故松本亮氏の著作『ワヤン人形図鑑』がある。梅田氏がバリ島のワヤンと出会った時期と同じ頃、本書と同じ出版社から刊行されたジャワ島のワヤン人形の図録だ。この白描画の図鑑は、長らくワヤン人形の貴重な資料だった。

 しかし、ところ変われば人形の造形や佇まいは異なる。ジャワ島のほとんどのワヤン人形が肌を金色に塗られているのに対して、バリ島のそれは人物ごとに肌の色が厳密に決められており、色とりどりの姿をしている。

 両氏を始めとする研究者の尽力により、ワヤンを説いた本はこれまで数多く刊行されてきた。だがワヤン人形そのものを大判のカラー印刷で隅々まで眺められる図鑑は、少なくとも国内では本書が初めてだろう。

 第一部「バリ島のワヤン」では、バリ島のワヤン・クリッの歴史や上演形態、人形の製作過程といった基本的な内容を一通り辿ってゆく。ワヤン・クリッの人形遣いをダランというが、一人前への道は果てしなく険しい。ダランは独りで複数の人形を操り、ガムラン奏者と連携して長時間の物語を演じきる一方、バリ・ヒンドゥーの儀礼に深く関わる僧侶としての側面も持つ。演劇の技能のみならず、宗教や文学、言語といった幅広い知識が要求されるのだ。

 ここで解説される人形の製作過程や、形態の分類と図解を踏まえると、後に続く第二部「ワヤン人形図鑑」の理解がより深まる。著者が上演活動のために蒐集し、時に自身で製作したという人形がおよそ一八〇体。特に大型の人形は実物大スケールの写真も掲載されており、牛の皮に一つ一つ手作業で穿たれた孔の細やかさには思わず溜息が出る。古典文学で知られた神々はもちろんのこと、現代のワヤンにはオートバイの人形(!)まで登場するというのだから、伝統芸能の工夫と懐の深さに恐れ入る。

 後書きには「より専門的なワヤンの研究書は次の楽しみとしてとっておきたい」とある。大著を里程標として尚も弛まぬ研鑽に、若輩として身の引き締まる思いがする。