つまらない住宅地のすべての家
著 者:津村記久子
出版社:双葉社
ISBN13:978-4-575-24385-7

おそろしいほどの労作

作者の人間の意識に関する理解はとんでもなく深い

西崎憲 / 作家・翻訳家・アンソロジスト
週刊読書人2021年5月21日号


 書評というものはまず第一に客観的に書かれるべきものだろう。完全な客観というものは存在せず、さらに選択の段階からすでになんらかの形で「主観」は入っているものなので、書評における「客観」はとうてい信用できないが、建前でもいいので残しておくべきだろう。そうしなければすべては渾沌に覆われてしまうはずだ。ただ思うところあって、本稿は評者の明白な主観を軸に進めようと思う。しかしその前に簡単に内容を説明しておこう。本書はどこにでもあるような住宅地に関する作品であり、そこにある十の家と住人たちのどこにでもあるが深刻な齟齬・葛藤、そしてその一画に縁があるらしい女性脱獄犯の動向がもたらす波紋を描いている。ジャンルとしては現代文学に入るだろうがその語から連想される敷居の高さはない。

 さて主観と書いたが、全部で四種類ある。まず第一の主観、翻訳者としてのそれからはじめよう。

 筆者は英語圏の小説の翻訳を務めとしているが、時折、英語の「人物」を表す語の少なさに驚くことがある。本書を読んでその思いを新たにしたのは、作者がその点について稀なほど高い見識と技術を持っているからだと思う。たとえば、英語では名前を知らない人物を表す時に使える語はほぼman,womanくらいだが(ほかにはma'm,lady等)、本作に現れる語は豊富である。そして用いられる語によって、発話者の性格、指示される人間との関係などがじつに精密に示唆される。人物はあるときは「男」「男性」「女」「女性」「彼女」「女の人」「女の子」などと呼ばれ、その呼称のみで読者は容易に、複合的にニュアンスを汲みとることができる。たとえば松山基夫は逃亡犯を真面目そうだと思い、「女性」という語で考える。自己の不遇感に囚われつづける大柳望は路地の出入り口にいる少年を「中学生ぐらいの男」と把握する。翻訳者である自分はこの点に関する日本語の豊かさを見て、さらに作者の修辞家としての巧みさに感嘆する。

 つぎは作者としての主観である。

 この小説はおそろしいほどの労作である。とにかく登場人物は多く、どのひとりをとっても等閑にされていない。そしてどの人物も一般的であるのに記憶に残る。それがどのくらい難しいことなのかすこし説明が難しいが、特別な特徴を持つ人間を読者の記憶に焼きつけることと、そうではない人間を記憶に留めさせることのどちらが難しいかは明白だろう。

 ストーリーもまた巧緻であるが、細部の描写はあるいはそれ以上かもしれない。たとえば以下の部分である。

 ~斜め向かいの矢島家の姉妹のお姉さんもゴミ袋を両手に抱えて出てきた後、また家に戻って重そうな袋を持って出てきたので、正美が「手伝いましょうか?」と声をかけていたところに、警官の制服を着た若い男が自転車に乗ったまま路地に入ってきて、声をかけられた。警官は、おはようございます、と挨拶をした後、逃走中の受刑者についてはご存知ですか? と話しかけてきた。

 この箇所の二段階の警官の描写には舌を巻く。この部分はもちろん最初から「警官」でも構わない。けれど「警官の制服を着た若い男」と書くことによって、山崎正美の感情の流れの解像度はおそらく何倍かに跳ねあがっている。この作者の人間の意識に関する理解は控えめに言ってとんでもなく深い。

 三つ目の主観的評は編集者という立場からのものである。

 この作品の価値を正確に知らしめることはおそらく難しい。「事件」は解決するし、カタルシスもあるが、作者の野心はそういうところにはないように見える。それはあるいはゾラやモーパッサンのようなものであるかもしれないし、リアリズムの体裁にかかわらず、ある種のゴシックロマンスのようなものかもしれない(本書は犯罪小説でもある)。

 四つ目の、最後の主観は読者としてのそれである。

 住人のひとり大柳望は犯罪を冒すぎりぎりの場所に立っている。玄関を上がってすぐの廊下の納戸の扉にはかれの二次元のアイドル布宮エリザのポスターが貼ってある。そのなかの彼女は妙に地味な着物を着ている。隣家の七十五歳の笠原えつ子は偶然に絵を見て、驚いて言う。

「長崎更紗だと思うんですよ、それ。母の故郷の伝統的な染め物なんです」

 そして付けくわえる。

「絵を描かれた人、すごく着物がお好きなんですね」

 えつ子のその言葉は大柳望の心に変化を生じさせる。

 すべてのマニア的心性を持つ者はこの箇所に特別な感情を抱くかもしれない。

「この作家は信頼している」という表現を時折目にする。何という甘っちょろく不見識で無責任な言葉であろうか。作家にかぎらず何かを創作する者にそんなふうに安直に感情を委ねるべきではない。自己投影するべきではない。その種の感情は作り手にとっては迷惑でしかない。けれどその上で言わせてもらいたい。津村記久子は信頼できる作家である。(にしざき・けん=作家・翻訳家・アンソロジスト)

★つむら・きくこ
=作家。「ポトスライムの舟」で芥川賞、『この世にたやすい仕事はない』で芸術選奨新人賞など。一九七八年生。