移り棲む美術 ジャポニスム、コラン、日本近代洋画
著 者:三浦篤
出版社:名古屋大学出版会
ISBN13:978-4-8158-1016-0

一九世紀の日仏美術交流の様相

ジャポニスムの問題を解き明かす快著

古田亮 / 東京藝術大学大学美術館教授・近代日本美術史
週刊読書人2021年5月28日号


 本書が解き明かそうとしているテーマは、ゴッホと広重との関係に代表されるジャポニスムの問題である。美術に特別な関心のない読者であっても馴染みのあるテーマであろうが、本書は、日本の浮世絵がフランスの印象派の画家たちに影響を与えたといった、これまでのジャポニスム論を完全に凌駕する内容となっている。そうした高度に学術的な側面を含むにもかかわらず、また分厚い専門書の見かけによらず、全編を通しての語り口は優しく軽快である。心地よく読み進めることができるという意味で、快著というにふさわしい。

 本書の概要は、著者自身の言葉によって序章に簡潔明快にまとめられている。四六〇頁のうちの七頁ほどの小論だが、あらゆるジャンルに通じる東西文化交流史のエッセンスが詰まっており、専門外であってもスッと腹に落ちることだろう。章タイトルも書名と同じ「移り棲む美術」だ。ここには、美術史研究の方法論的な問題提起も込められている。すなわち、浮世絵が印象派に影響を与えたという従来型の視点では、単にAからBへの源泉探しが目的となってしまう嫌いがあるが、異種交配の結果として新たな品種を生むことの意味を問う文化交流史学では、受容の背景にある選択的なフィルターに眼を向け、受容者側の視点を重視する。影響源から何を汲み出し、何を新しく作り出したのかを問う創造的な受容の論議が必要だというのが著者の主張である。

 本書では一九世紀の日本とフランスとの美術交流の様相が、具体的な研究対象となっている。これまでのジャポニスム研究で見逃されてきたパリのサロン展出品作品における日本趣味主題の検討によって、「日本」という表象がどのように絵画化されたのかを明示した第Ⅰ部「ジャポニスムの群生」は、新知見に富んでいる。ポール=マリー・ルノアールという見知らぬ画家に注目するのも、サロンに出品した《日本の渡し舟》(1872年、所在不明)という作品がひときわ謎めいた問題を映し出しているからに他ならない。7人の男たちが4人の女性を乗せた舟を泳いで曳行し、大河の対岸にある鳥居が二つ並ぶ巨大な神社(?)に向かっている光景。日本人が見ればまったくあり得ない、まさに絵空事が、実にリアルに描かれているのである。ルノアールの師ジャン=レオン・ジェロームがサロンに出品した《ハレムの女たちの外出》を日本に置き換えたものではないかという著者の仮説も興味深いが、このように大胆な空想絵画が、巡り巡ってやはりジェロームに師事した山本芳翠の描く《浦島図》(1893-95年、岐阜県美術館)へとイメージが連鎖したとすれば(著者の言及はないが)、さらに創造的な受容関係が考え得るのである。

 第Ⅱ部「蘇るラファエル・コラン」では、従来、黒田清輝の師匠という位置づけでしかなかったコランについて、コラン側に内在するジャポニスムの問題を解き明かし、その作品に具体的な日本趣味の様相があることを指摘しつつ、日本人画家たちとの「共鳴」を探る。そして、第Ⅲ部「日本近代洋画の開花」では、黒田をはじめフランスに留学した洋画家たちについて、フランス絵画史を基軸として分析し、丁寧な検討を重ねている。ここでもまた問題意識は広く、日本人が西洋に留学した場合に何をどのように選択して学んだのかという、誰もが知りたいと思う論点に対して鋭く切り込んでいく。そして、西洋絵画を身に着けて帰った洋画家たちが、留学先で遭遇したジャポニスムを帰国後どのように展開すべきかという、実に複雑な往還関係にも迫る。

 なかでももっとも重要な役割を果たした黒田清輝についての論及が、本書の掉尾を飾る。黒田に関しての研究は国立の機関を中心に進められ、すでに相当の蓄積がある領域であるにもかかわらず、本書はそれを一から洗い出して、黒田が何を学び、何を伝えたのかをはっきりと浮かび上がらせている。その結果として、これまでに強調されてきた「理想」や「構想」の受容とは別に、リベラリスムや自然主義という絵画理念に着目した考察はきわめて重要である。「自然主義絵画の国際的な潮流の中にいた有力画家としての黒田」という見方には説得力がある。なるほど、そうであれば、同時代の小阪象堂といった画家の見直しも必要ではないかと個人的な感想をもった。

 著者はフランス近代美術史を専門とする第一線の研究者である。その三〇年にも及ぶ研究の集大成となれば、難解な専門用語で埋め尽くされているかといえば決してそうではない。小気味良い文章展開や章ごとの的確なサマリーも有り難い。これから美術史や文化史を学ぼうとする学生たちに推薦したい一書である。(ふるた・りょう=東京藝術大学大学美術館教授・近代日本美術史)

★みうら・あつし
=東京大学大学院総合文化研究科教授・西洋美術史・比較芸術。パリ第4大学で文学博士号(美術史)取得。著書に『まなざしのレッスン』(1・2)『エドゥアール・マネ』など。一九五七年生。