バウマン道徳社会学への招待 論文・インタビュー翻訳集
著 者:ジグムント・バウマンほか/園部雅久(編・訳)
出版社:上智大学出版
ISBN13:978-4-324-10901-4

個人の道徳性の可能性と現代社会

バウマンの倫理・道徳論をトータルに考える

中島道男 / 奈良女子大学名誉教授・社会学・社会理論
週刊読書人2021年5月28日号


 本書は、バウマン道徳社会学を理解するための基礎的なテクストを、訳者が選択・編集したオリジナル本であり、バウマンのエッセイとインタビュー記録によって彼の仕事全体を概観しようとした第Ⅰ部、バウマン自身の倫理・道徳論関連の論文を収めた第Ⅱ部、さらにはバウマン倫理・道徳論に批判的な論文三本を収めた第Ⅲ部から構成されている。倫理・道徳論はバウマンの仕事全体のなかでいかなる位置を占めているか、批判者たちはどこに嚙みついたのかを押さえながら、バウマンの倫理・道徳論をトータルに考えることができる組み立てになっている。

 バウマンの倫理・道徳論は、デュルケムへの批判を発条としている。社会的=道徳的ととらえるデュルケムに対して、バウマンはpre-societalな道徳性を主張する。社会の規則に従うことが道徳的であるならば、ホロコーストを批判できなくなる。デュルケムは社会が個人の道徳性を沈黙させる力としても機能する可能性をみていない、というのである。バウマンのこの主張は、デュルケムとバウマンのあいだの百年の開きがもたらした、近代社会から現代社会への位相の変化をとらえるなかでなされている。バウマンは、モダニティからポストモダニティへという社会の位相の変化によって、規則・規範に従わせる倫理が弱体化したことに、個人の道徳性を取り戻す可能性を見たのである。

 バウマンによる個人の道徳性の主張は、他者の顔に応答することによって、自己が道徳的主体として構成されるというものである。このとき他者はけっして自己に回収されることのない、他者たるかぎりでの他者である。諸個人は社会理想に結びつくことによって真に人間的になるとするデュルケムとは異なり、諸個人は「複数性」(アレント)においてとらえられている。他者の重要性の主張にほかならない。

 しかし、現実は、個人の道徳性の可能性がポストモダニティで花開くというバウマンの見立てが実現したとは言い難い。阻害したのはグローバリゼーションである。バウマンは、こうしてリキッドモダニティ論としての現代社会論を展開するようになる。リキッドモダニティの現実は、バウマンが見出した個人の道徳性を拠点にして、これを裏切る現実として批判的に暴きだされていくのである。

 晩年の(P・ハフナーとの)対談で、バウマン自身は、謙遜なのか正直なところなのか、自分の仕事の成果についてやや悲観的な発言をしている。仕事の限界を吐露しているのである。社会を改善できなかったと。しかし、社会を作りかえる、よりよい社会を作るという希望は捨てていない。彼の現代社会論が、社会学のメインストリームの、精緻な調査・分析技法に基づく研究にはない刺激を与えるのは、まさにこの点であろう。社会学の任務は、見慣れたものを見慣れないものにすることであるとするバウマンは、つねにオルタナティブを求めている。言葉をいかに行動に変えるかが、今の最大の関心事だと言う。

 われわれに何ができるかについて考えるとき、倫理・道徳論は無視できないどころか、勘所となるはずである。リキッドモダニティ論を唱えるようになっても、倫理・道徳論は捨てられてはいない。バウマンはペシミズムにもオプティミズムにも与しない。彼が与するのは希望ということである。希望は幻想ではなく、虚構を虚構としてとらえたうえで現実を批判する根拠にするということであろう。

 とはいえ、倫理・道徳は、学校での「道徳」からの連想だろうか、わが国では評判が悪い。しかし、少なくともバウマンにおいては、道徳的と人間的とはイコールであろう。道徳的というのは不確実な状況のなかで選択することを前提としている。選択がなくなれば道徳もなくなる。個人の道徳性は人間が自由であることと不可分なのである。であれば、必ずしも「道徳的聖人」を想定する必要はないのではないか。

 が、個人の道徳性とリキッドモダニティの現実との〈あいだ〉の距離はやはり大きい。もちろん社会の変革が一発変換で生じるわけはなく、バウマンの戦略は、個人の道徳性を基礎にした「触発的解放の連鎖」(見田宗介)だと言えなくもない。とはいえ、単なる行動・実践の勧めにとどまるのではなく、〈あいだ〉についてもう少し議論が必要なのは確かだろう。この点で、訳者が都市社会学者であるのは興味深い。都市ということでバウマンから連想されるのは、グローバリゼーション、バガボンド/ツーリスト、消費主義、廃棄された生、等々である。が、訳者が注目したのは倫理・道徳論であった。今回の翻訳の動機も、おそらく〈あいだ〉への関心ではなかろうか。バウマン自身が最後まで気にしていたのもこの部分だろう。

 訳者も「あとがき」で触れているように、コロナ禍で人と人との接触がなくなり距離が大きくなっている今こそ、バウマンの倫理・道徳論は注目されるべきである。バウマンの邦訳書は多いが、バウマン思想の勘所であるはずの倫理・道徳論の体系的な著作の邦訳はまだないので、この本は大いに歓迎される。詳しい「訳者解題」も有益だ。(なかじま・みちお=奈良女子大学名誉教授・社会学・社会理論)

★ジグムント・バウマン
(一九二五-二〇一七)=社会学者。ワルシャワ大学教授、テルアヴィヴ大学教授、英国リーズ大学教授などを歴任。著書に『近代とホロコースト』など。

★そのべ・まさひさ=上智大学名誉教授・都市社会学。著書に『再魔術化する都市の社会学』。一九五〇年生。