ここは何処、明日への旅路
著 者:小嵐九八郎
出版社:アーツアンドクラフツ
ISBN13:978-4-908028-58-8

革命運動に従事した男の「再生」

「内部事情」のリアルと人間の基本的在り方の肯定

黒古一夫 / 文芸評論家
週刊読書人2021年6月11日号


 著者は、これまで一九六〇年代の後半から始まった「政治の季節=学生叛乱の時代」に、大学入学してすぐ「右も左も分からないまま」新左翼(過激派)の社青同解放派に加盟し、以後革命運動に従事するようになった男の物語を、体験(事実)と虚構を綯い交ぜにして二冊「書下ろし」で上梓してきた。一冊目は、ノンポリ(無党派)だった東北地方出身の学生が、早稲田大学闘争、10・21新宿街頭闘争、東大安田講堂攻防戦、等々の六〇年代末の「闘い」を経験するうちに、次第に所属する党派の幹部に祭り上げられていく過程を面白おかしく描いた『彼方への忘れもの』(二〇一六年 アーツアンドクラフツ刊)。二冊目は、そんな若者が連合赤軍事件(あさま山荘銃撃戦・十六名の同志殺人 一九七二年)や、相次ぐ社青同解放派及び過激派最大の中核派と敵対する革マル派との「内ゲバ」、あるいは反日武装戦線(狼グループ)によって決行された「三菱重工爆破事件」等の爆弾闘争が象徴する「混沌とした七〇年代」を駆け抜けた三人の活動家の悲喜劇を、自己戯画化の手法を最大限に使って描き出した『あれは誰を呼ぶ声』(二〇一八年 同)。

 そして、第三作目の本書は、一九八二年の梅雨時、三連発式改造銃を所持していた容疑で火薬取締法違反及び銃刀法違反で四年半を新潟刑務所で過ごした過激派(社青同解放派)の幹部地曳務が出所した所から物語が始まる。物語は、その地曳が今や大学生になって神秘主義的宗教やオウム真理教へ近接するようになった一人息子をカルト集団から救抜すべく、空港建設反対を唱え続けている三里塚農民に学びながら新潟で農業をしているかつての同志に息子を預け、息子が立ち直り「新たな生活」に進む過程を詳細に描く一方で、あれほどまでに党派の活動に忠実であった主人公が、懊悩の末に党派を抜けると宣言するにいたるまでを描いたものである。

 特に本作が「面白い」と思えるのは、最後まで徹頭徹尾「革命」と「党派活動」の正当(正統)性を信じていた主人公が、この国の近代史に登場する革命家と同じように獄中で様々なジャンルの書物から多くのことを学んだということもあって、最終的には男女の愛や家族(親子)愛、友人(同志)間の信頼といった人間の基本的在り方を肯定的に捉えるようになり、そこから「再生」して行く過程を、自虐的・自嘲的とも思えるような表現を通して描き出している点である。中でも、交通事故で亡くなった妻の女友達(同級生たち)との交歓や、一人息子が「神秘主義」へ傾いていく過程でそれを阻止すべく主人公に様々な助言をする学習塾の女性講師らとのやり取りを赤裸々に描いた部分は、「人間は一人で生きているのではない」という本質に対する作者の覚醒から生みだされたものと思われ、「読物」としての本作の多彩さを物語っており、作者が並々ならぬストーリー・テーリングの持ち主であることを明らかにしている。

 ただ、「読物」としては面白いが、物語には革命党派の「内部事情」やリアルな「党派闘争(内ゲバ)」の実際も虚実織り交ざって描かれており、老爺心ながら「ここまで書いていいのか」と心配になった。しかし、本作は間違いなく前二作と共に一九七〇年前後の「政治の季節」を体験した世代とその子女世代には是非読んでもらいたい佳作である。(くろこ・かずお=文芸評論家)

★こあらし・くはちろう
=作家。『鉄塔の泣く街』『清十郎』『おらホの選挙』「風が呼んでる」がそれぞれ直木賞候補となる。『刑務所ものがたり』で吉川英治文学新人賞受賞。『真幸くあらば』が映画化。一九四四年生。