液体 この素晴らしく、不思議で、危ないもの
著 者:マーク・ミーオドヴニク
出版社:インターシフト
ISBN13:978-4-7726-9572-5

液体を手なずける

図書館発!こんな本が面白い【書評提供:図書館流通センター(TRC)】

藤澤恵美子 / TRCデータ部
週刊読書人2021年6月18日号


 私はロンドン発サンフランシスコ行の航空機に搭乗する。機内の安全設備のアナウンスを聞きながら、私の頭の中はこの機体に積み込まれた何万リットルもの航空燃料のことで一杯だ。これに触れずして何が安全だ―。「液体」という変わったタイトルの本書は、傑出した材料科学者である著者=私が、飛行機の旅の中で出合う各種液体について考察をめぐらす科学読み物である。

 著者がこのフライトで思いをめぐらす液体は多岐にわたる。大海を見下ろして水の圧縮されない性質がもたらす波とその凶暴なエネルギーを思い、液体石鹼のポンプを押して「清潔」をめぐるコマーシャリズムを思う。居眠りをして思わず垂らした涎からは、生存に欠かせない体液がなぜ体外に出ると嫌悪感を抱く液体に変わるのかを考察する。液晶テレビはドリアン・グレイの肖像画につながり、機内サービスのまずい紅茶は、究極の一杯の淹れ方についての熱い一席につながる。

 著者は分子レベルから液体の性質を解き明かし、そこに技術史を絡めていく。粘着がテーマの章では接着剤=固体に変化し恒久的な結合を作る液体、の変遷が技術史とリンクする。石器時代の斧を固定していたのは樹脂(フェノール)、ストラディヴァリがヴァイオリンの製作に使ったのは、膠(コラーゲン)。2液型の接着剤は接着のコントロールを容易にし、合板を自在に成型した爆撃機を生む。航空機の素材が合板から炭素複合繊維へと移り変わると、反応が温度依存なエポキシ系の接着剤が活躍する。加熱するまで反応が始まらないので、数週間かけて巨大な翼を組み上げ、圧力釜に入れて接着するという製造法が可能となった。各接着剤には手描きの素朴な化学構造式も添えられ、分子レベルの接着メカニズムとその利点弱点が簡潔に記されている。ミクロとマクロを自在に行き来する軽妙な筆致で接着のコントロールという意外な歴史が一望できる。

 封じ込めが難しく、流れ滲み出し滴る。液体は利便性の一方、扱いが難しいという側面がある。テクノロジーの歴史は、一面、液体を手なずける歴史でもあるのかもしれない。ラボオンチップという最新テクノロジーが紹介されている。体液を採取・投入するだけでチップがそれを分析し、感染症や各種病気が診断できるという画期的な研究である。ここで重要なのは、小さな液滴を自在に動かし微小な分析管に入れる技術だという。高度な分析技術の前に、液体を動かすというシンプルな課題があるというのが面白い。

 著者はイギリス人らしく大風呂敷は広げない。ひとつひとつの事象の説明に留め、それを敷衍したりはしないのだが、読んでいるこちらは「液体」という新鮮な切り口を得て大きなことを語りたくなる。「他の星に生命を探す科学者は液体の水を探す」の一文。既知のはずの内容だが改めて「液体の水」が引っかかってきた。液体の水の存在条件はかなり厳しいのではなかったか、そういえば生命現象は皆液体中で起こるのではないか、やはり地球は奇跡の星…。面白くわかりやすいのみならず、読者を触発する力がある点でも、良質なポピュラーサイエンスの一書といえるのではないだろうか。