団地映画論 居住空間イメージの戦後史
著 者:今井瞳良
出版社:水声社
ISBN13:978-4-8010-0551-8

空間の経験に注目した批評的視座

半世紀にわたる作品から可能性を探る

五十嵐太郎 / 建築史家・建築評論家・東北大学大学院教授
週刊読書人2021年6月18日号


 ど直球のタイトルである。

 実際、これは団地映画論の決定版になるだろう。本書は一九五五年に設立された「日本住宅公団が建てた集合住宅」を対象とし、著者が確認できた同年以降の映画において、どのように描かれているかを論じたものだ。まさに戦後の日本において、一般的にイメージされている団地であり、そうした建築史は木下庸子+植田実編著『いえ 団地 まち』(住まいの図書出版局、二〇一四年)にまとめられている。戦前にも同潤会などの集合住宅の先例がなかったわけではないが、まだ前衛的な事例であり、戦後の団地こそが住宅難を解決すべく登場し、日本人にまったく新しい生活のスタイルを広く普及させた。それまでは平家、あるいはせいぜい二階建てが居住のための建築だったからである。建築界では、計画学の成果として、2DK(食事室と台所を合体したダイニングキッチン+二部屋)の間取りをもつ51C型と呼ばれる団地の標準設計を生みだし、その後、様々な試みもなされるが、やがて均質的ということで批判の対象となった。しかし、二一世紀に入ると、みかんぐみ『団地再生計画』(二〇〇一年、INAX出版)のように、リノベーションの視点から再評価が行われる。またノスタルジーのまなざしも向けられ、大山顕・佐藤大・速水健朗の『団地団』 (キネマ旬報社、二〇一二年)では、漫画、テレビ、アニメ、映画などのサブカルチャーにおける団地の表象が縦横無尽に論じられた。

 さて、『団地映画論』は、こうした流れの延長に位置づけられるが、今井が序章で説明しているように、ほかにも原武史『団地の空間政治学』(NHK出版、二〇一二年)や社会学、そして映画論の系譜を継ぐ。その際、場所や物理的な配置における「空間的実践(=知覚される領域)」、計画された「空間の表象(=思考される領域)」、映像や象徴を介した「表象の空間(=生きられる経験)」という三重の弁証法的関係から空間が生産されるというアンリ・ルフェーヴルの議論を踏まえている。そして、この三つの次元によって構築される団地に対し、「居住空間のイメージ」を論じるのが本書だ。ちなみに、本書は、もともと二〇二〇年に京都大学に提出された同名の博士論文をもとにしているだけに、序章の研究史はアカデミックによく整理されている。したがって、巻末の註、参考文献、そして団地映画のリストなどの資料も充実している。序章では、映画の空間論を検証する部分が興味深い(本論でも、映画の表現に対して、細かい分析がなされている)。著者は観客の主体を巻き込んだ空間の経験に注目し、特に団地映画では、戦後の社会政策として秩序づけられた団地の生活とは異なる経験が見出せる可能性を指摘する。そして『喜劇 駅前団地』(一九六一年)に始まり、七〇年代以降の団地妻シリーズやJホラーの舞台など、戦後日本映画史において団地が特権的な空間として機能したという。

 本書は、おおむねクロニクルに団地映画をとりあげているが、その構成は以下の通り。第一部は、団地が憧れの生活空間だった時代を対象とし、第一章はサラリーマン(『下町の太陽』など)、第二章は家族(映画のショットを精緻に分析した『しとやかな獣』の多孔的な部屋など)、第三章は戦災の記憶(『フランケンシュタイン対地底怪獣』など)を切り口としている。第二部は、「団地妻映画」を検討し、第四章はジェンダーと空間(子供を持たない主婦が団地で排除される『彼女と彼』など)、第五章は日活ロマンポルノの団地妻シリーズとその言説のズレを読みとく。第三部は、日常生活としての団地を分析し、第六章は団地にメディアが侵入した若松孝二作品、第七章は映画化された団地文学(『燃えつきた地図』と『遠雷』)を通じて郊外化の問題を扱う。そして第四部は、父親、子供、少女の観点から成熟の問題をとりあげ、第八章は「ノスタルジア」、第九章は音響と空間の興味深い関係(『クリユリ団地』など)を論じている。こうして半世紀にわたる作品を並べるだけでも、いかに団地が日本の映画において重要な舞台として登場し、また社会の動向を反映していたかに改めて気づかされるだろう。

 もっとも、単なる現実の反映ではない。またサブカル的な消費でもない。むしろ、本書の最大の特徴は、団地映画が固定化したイメージの語りに対して、「日常生活批判」を批評的に提示したという視座である。例えば、サラリーマンを題材にして、農村/下町と団地の不和を提示したこと。団地が前提とする核家族が、不安定な存在であることを暴いたこと。会社に組み込まれた団地夫の不安定さを提示したり、密室に籠るイメージを打破すべく、多様な団地妻の映画が制作されたこと。また強固な鉄筋コンクリート造の団地は、「成熟」を体現する空間だったが、日常生活として懐柔されたことで、戦後の「成熟」を回避する存在として残ったこと。もちろん、建築家も、山本理顕をはじめとして、脱nLDKの集合住宅、職住近接のプログラム、コミュニティ空間の創出、社会学者との対話などを通じて、画一的な団地を批評的にのりこえる実践を継続している。だが、ルフェーヴルの図式からすると、建築は「空間的実践」と「空間の表象」をカバーできるが、「表象の空間」に関われない。一方で本書は、映画を通じた近代的な空間の批判の可能性を明らかにしている。(いがらし・たろう=建築史家・建築評論家・東北大学大学院教授)

★いまい・つぶら
=茨木市立川端康成文学館学芸員・映画研究。主な論文に、「多様なハンセン病者を可視化する」など。一九八八年生。