災禍をめぐる「記憶」と「語り」
著 者:標葉隆馬(編)
出版社:ナカニシヤ出版
ISBN13:978-4-7795-1578-1

「語り」と「記録」が生成する/されるとき

背後に響くささやきに耳を澄まし、書き留める

山﨑真帆 / 東北文化学園大学現代社会学部助教・文化人類学
週刊読書人2021年7月9日号


 自然災害などがもたらす災い――「災禍」――は、太古の昔から、そして今日に至ってもなお、私たち人類を悩ませ続けている。日本社会を震撼させた東日本大震災や、いまだ世界各地で猛威を振るう新型コロナウイルスによる「コロナ禍」は、代表的な災禍である。拙稿をお読みいただいている方々の多くも、様々な思いを抱えつつ、日々発表・報道されるPCR検査陽性者数や死者数の推移をじっと見守り、終わりの見えないコロナ禍を生きてきたものと拝察する。

 災禍に際しては、私たちがその実態を把握するための重要な手がかりとして、右記のような被害・影響の規模を示す表現が流布する。だが一歩踏み込んで考えてみてほしい。こうした数字は、その背景にあるはずの「何か」を覆い隠してはいないだろうか。公的な記録から零れ落ちる「何か」はないだろうか。災禍をめぐる「語り」と「記録」の生成に目を向ける本書を読み進めれば、その「何か」が実感を伴って見えてくるだろう。それは、一人ひとりの生きられた生活であり、経験である。

 本書は、編者により議論の枠組みが設定される序章、それぞれの角度から災禍をめぐる「語り」と「記録」について記述する十編の論考と二つのコラムから構成される。紙幅の関係上、本稿では各論考の詳細に立ち入ることはしない。序章の記述を軸としつつ、適宜各章と関係の深い箇所を指摘するなどし、本書の簡単な見取り図を示したい。

 まず本書では、災禍をめぐる経験・感情・思考、そして時間の経過とともに生じてくるそれらの変化の総体を「リアリティ」と呼ぶ。リアリティは地域や個人の生活の文脈に応じてさまざまな形をとるが、私たちが目にすることができる「語り」や記録として残されるものはそのごく一部にすぎない。本書が向き合うのは、見過ごされてきた多様なリアリティとしての「語られるかもしれないこと」である。それを引きだし「語られた」ものとして積み重ねていくこと、すなわち「記憶」を継承していくこと、その意味と可能性の検討が試みられる。

 つぎに、災禍をめぐる「語り」の形成と共有における課題として、以下三点が指摘される。

 一点目は、メディアの関心の偏りによる物語の固定化である。災禍をめぐる複雑なリアリティのなかから関心に沿って切り取られたごく一部が「記録」として流通し、定型化された「物語」として消費され、社会的関心を方向づける(特に第九章、第十章)。

 二点目は、研究者や記者ら記述者のフレーミングによる「語り」の捨象とその権力構造である。記述者の関心に沿って多くの「語られるかもしれないこと」が捨象された「記述」は限定的である一方で、公式のものとしての性格を帯びる。このことは、記述者をして記述という行為に省察を迫る。本書における各章・コラムの執筆者の筆致からは記述行為に対する苦悩が垣間見え(特に第五章、第六章、第七章)、全体として、上記の課題への応答を試みるものともなっている。

 最後は、災禍の当事者をめぐる「語りにくさの構造」を背景とした、「語られないこと」の多さである。「語りにくさ」の構造は、当事者自身の被害や辛さ――例えば、「もっとつらい目にあっている人がいる」といった主観的/客観的比較や外部者らによる「語りの制限」、定型化された物語の流布、人災における加害/被害の曖昧さ――をめぐって形づくられる(特に第三章、第四章)。本書が向き合う「語られるかもしれないこと」とは、こうした構造を超え、時間をかけて「にじみ出してくるかもしれない」ものである。

 それでは、「語られるかもしれないこと」を引き出し「語られたこと」としていくには、いかなる方途が可能だろうか。序章では先駆的な試みとして、せんだいメディアテークのコミュニティ・アーカイブ活動「わすれン!」等が紹介される。「わすれン!」の詳細は第二章にて論じられているが、編者は、当該活動を通し市民参加によって集積されていった記録の中に、時に未編集だからこそわかるリアリティがあり、目の前にあるリアリティをできる限り切り捨てないための記録の可能性が開かれると見る。こうした視点・実践は災禍をめぐる言説へのアクセスの不均衡を是正し、災禍のリアリティに対するより豊かな言説の土壌を構築する基盤となっていく。

 本書を一読すれば、災禍をめぐり「語られること」の背後に響く「何か」が、対抗的なもう一つの「語り」ではなく、相互に矛盾する可能性すら内包する、無数かつ多様なささやきであることに気づく。本書が繰り返し強調する、多様なリアリティの存在とそれを問うことの重要性は、多様性が称揚される一方で没個性化や排除が進む今日のグローバル社会において、災禍をめぐる領域にとどまらず、さまざまな局面に通底するものであろう。読了後の読者は、社会に遍在する「語られるかもしれないこと」について、思いを巡らすことになるに違いない。(やまざき・まほ=東北文化学園大学現代社会学部助教・文化人類学)

★しねは・りゅうま
=大阪大学社会技術共創研究センター准教授・科学社会学。著書に『責任ある科学技術ガバナンス概論』など。一九八二年生。