英文学者 坪内逍遙
著 者:亀井俊介
出版社:松柏社
ISBN13:978-4-7754-0276-4

『小説神髄』に繫がる英文学研究の土台

「田舎育ち」という観点から再確認する学問の「知と情」

大串尚代 / 慶應義塾大学教授・アメリカ文学
週刊読書人2021年8月13日号


 毎週土曜日の午後、近くの公立図書館に行って本を借りることが、小・中学生の頃のわたしの習慣だった。のんびりとした地方都市で育ったが、徒歩圏内に図書館があったのは有り難かった。現在アメリカ文学を研究しているわたしがさまざまな海外文学に接したのも図書館だ。当時は気づいていなかったが、今にして思うと福島正実、久米元一、遠藤寿子といった錚々たる翻訳者の手による作品を楽しんでいた。こうした人々のおかげで、地方に住む小学生だったわたしは、文学を通じて「外国」とつながることができたわけだ。

 わたしが受けたこうした恩恵は、元をたどれば西洋文学を翻訳紹介し、研究した明治期の文人たちに行きつく。亀井俊介氏の新著『英文学者 坪内逍遙』はまさに、本邦の英文学研究の父祖のひとりである坪内逍遙の、学者としての側面にせまる一冊である。坪内逍遙といえば、小説家、『小説神髄』を著した評論家、シェイクスピア翻訳者、近代演劇の推進者として広く知られているだろう。しかしながら、本書はあくまでも逍遙の「英文学者」としての側面に着目する。近代化する日本にあって、西洋文学といかに取り組むかという学問的な問題意識が、逍遙の八面六臂の活躍の根底にあったことが明らかにされる。

 たとえば、逍遙は大学在籍中にウォルター・スコットの『ランマムーアの花嫁』や『湖上の美人』、またブルワー=リットンの小説も訳出していた。こうした翻訳を通じて、後の『小説神髄』へと繫がる小説論が構築されていく。小説とはそれまでの日本の物語によくみられた勧善懲悪ではなく、人情を描くべきであると逍遙は主張するが、その土台となるのは英文学研究にあった。逍遙が説明する小説の変遷や分類、文体論は当時としてかなりのスケールであったことを、亀井は指摘する。

 入手できる本も限られていた時代であったが、逍遙はしかし、独自の考察を展開する自由さと粘り強さがあった。ここで興味深いのが、そうした逍遙の学問への態度は「田舎育ち」という背景によるものではないか、という亀井の分析だ。岐阜県に生まれたのち名古屋に移り住み、小さい頃から貸本屋で大衆読物を読みあさっていたという逍遙は、一七歳で東京大学の前身である東京開成学校に入学するため上京する。逍遙は、都会のいわゆるそつのない生き方というよりも、愚直に取り組む態度を貫いた。それが完訳『シェークスピヤ全集』であり、またこれまであまり注目されてこなかった逍遙の英語文学作品の評注にあらわれていることを本書は示している。

 文学とは何なのか、またそれをどう論じればよいのか。外国の文学作品を日本語にどう翻訳し、解説していくのか。すべてが手探りであった時代に、「田舎育ち」の逍遙がなしてきたことは、作品を精読し、自分自身で愚直に考えるという、現在にあっても学問の基礎となることであった。それはおそらく著者である亀井自身の姿勢とも重なるものであろう。だからこそ亀井は、逍遙が好んだ「融會自在」という句にふれながら、「日本の田舎から出て来て、世界の田舎である日本を土台にして世界に視野をひろげ、(中略)何にでも自由に手をのばし、面白いと思った作品は果敢に訳し、自分の知と情をもとにして熱心に論じ、たとえば森鷗外やその系統のような理論的スマートさはないが、朴訥に、着実に、文学研究の道を切り拓いたのだ」と、逍遙を評価する。

 本書は坪内逍遙というひとりの文人の学問的意義を再訪した書であると同時に、本邦における西洋文学受容史でもあり、地方と中央、田舎と都会という観点を盛り込みながら、学問における「知と情」を再確認するための本でもある。まさに「融會自在」な一冊である。(おおぐし・ひさよ=慶應義塾大学教授・アメリカ文学)

★かめい・しゅんすけ
=東京大学名誉教授・アメリカ文学・比較文学。著書に『サーカスが来た』(日本エッセイストクラブ賞、日米友好基金賞)『アメリカン・ヒーローの系譜』(大佛次郎賞)『有島武郎』(和辻哲郎文化賞)『日本近代詩の成立』(日本詩人クラブ詩界賞)など。一九三二年生。