推し、燃ゆ
著 者:宇佐見りん
出版社:河出書房新社
ISBN13:978-4-309-02916-0

推し、燃ゆ

書評キャンパス―大学生がススメる本―

東蒼大 / 二松学舎大学文学部国文学科4年
週刊読書人2021年9月3日号


『推し、燃ゆ』は若者言葉で語られる普遍的な物語である。主人公・あかりが抱える生きづらさと一方的な依存には、「推し」とは無縁の人間でも共感を覚えるだろう。

 あかりはアイドルオタクだ。しかも界隈で「ガチ勢」と有名なくらいの重度なオタクである。アイドルのSNSで別人が発言したことに、文章のニュアンスの違いだけで気付く。あらゆるメディアでの発言を、20個以上のファイルに保存している。彼女のブログは、同じオタクから高い支持を得ている。

 これほどまでに入れ込んでいる「推し」が炎上した。ファンを殴ったらしい。物語はそこから始まる。

 私には何かを「推す」経験も、「推し」という存在も無い。だから、はじめは本書にシンパシーを感じなかった。これが大きな誤りであることに気付いたのは、本書を2回目に読んだときだった。

「肉体の重さについた名前はあたしを一度は楽にしたけど、さらにそこにもたれ、ぶら下がるようになった自分を感じてもいた。推しを推すときだけあたしは重さから逃れられる」

 この端的に表現された行為こそ、あかりにとっての「推す」という行為だ。「肉体の重さについた名前」とは、精神疾患とか発達障害とか、そういった類のことだ。そして、それらから解放されるのは、推しを推しているときだけ。

 この「重さ」と「重さから逃がしてくれる一時的な存在」は、誰にでもあるのではないか。診断名が付かなくても、たとえば「重さ」は人間関係の悩みや仕事の失敗かもしれない。たとえば「重さから逃してくれる存在」は、家族や友人かもしれないし、映画やスポーツやゲームといった趣味かもしれない。

 人によって異なることは「何に依存しているか」よりも「どれだけ依存しているか」である。その意味であかりは依存し過ぎていた。「推し」への依存が過剰になると、推せなくなったときに崩壊してしまう。生きづらさという重さ。そこから逃れるための依存。この天秤は誰もが抱えるものであり、だからこそ本書は普遍的な物語なのだと思う。

 一方で、本書に籠った独特のパワーを余すことなく楽しむ〝賞味期限〟は、実は短いのではないかとも思う。一見矛盾して聞こえるかもしれない。本書は普遍的なテーマで書かれた文学性の高い作品であると述べたばかりだ。しかし同時に、数年後には言葉が褪せている危険性もはらんでいる。それは冒頭からたびたび登場する、世俗的な若者言葉から感じ取れる。

「推しが燃えた」

 この文を読んで、よもや「推し」が発火したと思う者はいないだろうが、 時代が進めば「推し」も「炎上」や「燃えた」という言葉も、死語になっている可能性がある。

「ふたつの大きな目と困り眉に豊かに悲しみをたたえる成美の顔を見て、あたしはよく似た絵文字があるなと思いながら」

 この絵文字について、数年後「ぴえん」という言葉を連想できる読者がどれだけいるだろうか。

 そうした若者的な表現の中でも、とりわけ印象的なのが「中途半端に陰キャ。」だ。これは登場人物の自虐的なセリフの中で使われる。本来なら、純文学作品に登場すると浮いてしまう。そんな違和感に近い存在感のある、若々しい現代的な言葉が作中に登場するからこそ、本書はカリスマ的な魅力を持つのだろう。

 この鮮烈な若さを実感的に楽しむには、現在に生きる私たちが、現在の感覚で享受するのが一番なのではないか。『推し、燃ゆ』の魅力を余すことなく読めるのは、現代の若者の特権なのである。

★あずま・そうた=二松学舎大学文学部国文学科4年。5年以上iPhone6sを使っている。一方でワイヤレスイヤホンは半年で3つ買い換えている。物持ちが良いわけではないのだ。