猫が歩いた近現代 化け猫が家族になるまで
著 者:真辺将之
出版社:吉川弘文館
ISBN13:978-4-642-08398-0

猫の足跡

図書館発!こんな本が面白い【書評提供:図書館流通センター(TRC)】

余田葵 / TRC-ADEAC
週刊読書人2021年9月10日号


 コロナ禍、遠出が困難になってからというもの、近所を散歩することが増えた。せっかくだからと、一万歩目指して意気込んでみたり、いつもは歩かない小さな道に入り込んでみたり。そういう小さな道の奥、猫がじっとこちらを見ていることがあった。思わず近づくと、素早く逃げられてしまった。他人にはなつかないものと思っていたが、明治時代の猫はそうでもなかったらしい。「猫捕り」という商売が存在し、雀を巧みにあやつって、いとも簡単に捕まえられていたという。そして、そのまま売られてしまう。猫を家族の一員として捉えることもある現代では考えられないことだが、当時、ねずみ捕りのためだけに飼う人が主流だったというから、自分の家の猫が突然いなくなっても気にしなかったらしい。さらに、自分の家の猫という認識も低く、隣近所の垣根なくみんなで飼っている猫が何匹もいたという。そのような時代から、現代のように家族の一員になるまでの猫の足跡をまとめたのが、本書である。

 平安時代末期から化け猫の観念が存在した日本では、自然への強い畏怖の念とともに、猫を神として祀り、おそれた地域もあった。現在では猫の島として知られる宮城県田代島には、子どもが猫の足に石をぶつけたところ、その子どもが片足になってしまったため、猫神を祀ったという伝承がある。近現代は、猫たちにとって幸せとは言い難い出来事も多かった。食べるものに困り、公害に悩まされ、その公害の原因特定のために、動物実験を受けることになってしまう。これらは、その当時の社会が、あくまで人間を中心としていたからだと本書は説く。しかし、現代もどうであろうか。金銭でやり取りされる猫、マイクロチップを埋め込まれる猫など「管理」される猫がいる。家族の一員とはいえど、人間とは異質な扱いをしている。もしかしたら、人間も「管理」される時代が来るのかもしれない。いや、もうすでに来ているのではないかと背筋が寒くなったところで、ふと我に返った。結局、人間のことを考えているではないか。これでは人間中心の社会と言われて当然だが、猫語が理解できない人間は、猫の歴史も人間との関わりという観点から考えるよりほかないのかもしれない。

 著者は、高校生のとき、出掛けた先でずっと後をついてくる猫の姿を見て好きになった。本書にも著者愛猫の写真が登場する。その猫が死んでしまったとき、著者自身も死んでしまえば、誰もあの猫のことを知らなくなることに気がついた。その悲しさのあまり、多くの猫たちの生きた証に思いを馳せ、猫たちと人間が紡いできた関係をまとめようと考えるようになったという。ゆるやかに移り変わる両者の関係を書くのは難しかったというが、味噌汁をかけた「ねこまんま」から、キャットフードまでのゆるやかな食事の変化を知り、暖を求めてブラウン管テレビの上で寝そべる猫の姿に癒されるのも、本書の楽しみのひとつと言えるだろう。