長東日誌 在日韓国人政治犯・李哲の獄中記
著 者:李哲
出版社:東方出版
ISBN13:978-4-86249-412-2

独裁下の拷問を暴き、監視・密告社会の闇を撃つ

「消せども消せどもある」ものをめぐる言葉の集積庫

宮崎勇市 / 李哲さんを救う同窓生の会
週刊読書人2021年9月10日号


 書名の副題から分かる通り、著者は元「在日韓国人政治犯」である。日本の中央大学を卒業後、韓国人としてのアイデンティティを求めて母国=韓国の高麗大学大学院に留学した。留学中の一九七五年、「北のスパイ」にでっち上げられ逮捕、拷問の果てに起訴され死刑判決を受けた。拷問のすさまじさは本書に詳しい。その後減刑や恩赦(その背景には韓国民主化闘争の前進がある)を経て八八年に釈放され帰日した。同様の運命を辿った在日韓国人政治犯の数は百人を超える。

 二〇一五年に著者は再審無罪を勝ち取り、一九年には文在寅大統領から国家を代表しての謝罪の言葉を受けるに至った。韓国の情勢も変わり、民主化が進んでいると確信するようになり、日誌を本にして世に出そうと考えたという。

 救援運動に携わってきた私は、著者の獄中生活と私たちの運動とを重ね合わせて本書を読んだ。

 何度も拷問により生死の境を彷徨っていたとき、私たちは外務省に「薬を届けてくれ、医者を派遣して診察して欲しい」など交渉していた。獄中にいる著者と外(まして日本)にいる私たちとの情報交換は皆無に等しい。家族の面会によってもたらされる僅かな情報を元にどういう支援が必要かを議論し、実行に移していった。体調を崩し、痩せている、視力が落ちている、下痢が続いているなど伝わってくるたび、一日も早く釈放を実現しなければと署名運動や外務省交渉、釈放要求集会、ときにはハンスト、救援コンサートなど考えられるあらゆる行動を起こしてきた。また、本人を元気づける一番の手段として、渡韓し差し入れ、面会などを追求した。差入れにより日本から人が来ていることが分かれば少しでも勇気づけられると確信しての行動であった。

 いつだったか著者への判決が言い渡される日、私は裁判傍聴のために渡韓し、裁判所の庭にいた。ところがその日は裁判が延期になった。裁判所から出てくる著者を待った。腰縄に手錠で何人も数珠繫ぎになった拘束者たちが出てきた。私は日本から同級生が来ているのを即座に分かってもらうために「吉本くん!がんばれよ!」と通名で呼びかけた。「宮﨑くん、周りは情報部(KCIA)ばかりだぞ」とかえして護送車の中に消えた。

 戦前戦中の日本がそうであったように、日本の植民地時代にその統治を学んだ朴正熙は監視・密告の恐怖政治を敷いた。西大門拘置所は日本が建設した刑務所で、著者も婚約者の閔香淑さんもここに収監された。今は西大門刑務所歴史館になっており当時の姿そのまま保存されている。拷問室とその道具、絞首刑場や運動場もそのまま残されている。独房の一室が在日韓国人良心囚の展示室になっている。ソウルを訪れる方には是非立ち寄ってもらいたい施設である。

 日本では、盗聴法・共謀罪・マイナンバー制度・土地利用規制法・集団的自衛権等々、戦争ができる国作り、国民監視社会作りが着々と進んでいる。それに独裁が加わったときにどんな社会になるか。本書が教えてくれる。一人の人間を血祭りにあげることにより、どれだけ多くの人が苦しみ、悲しみ、救援するのにどれだけ多くの時間と労力と金銭が必要なことか。それが為政者のお狙いであろう。香港やミャンマーの現状を見ると、どんなことが行われているか、本書が教えてくれる。

 本書は、単なる一人のスパイにでっち上げられた政治犯の獄中記にとどまるものではなく、監視・密告社会がどんなものであるかを教えてくれるし、そうならないための警告の書でもある。(みやざき・ゆういち=李哲さんを救う同窓生の会)

★い・ちょる
=在日韓国良心囚同友会代表。訳書に『完全なる再会』など一九四八年生。