ティム・オブライエン ベトナム戦争・トラウマ・平和文学
著 者:野村幸輝
出版社:英宝社
ISBN13:978-4-269-73009-0

「生き抜くための文学」「生存者の文学」

沈黙を強いるトラウマ状況のなかでなお言葉を探す困難な過程

長岡真吾 / 福岡女子大学教授・アメリカ文学
週刊読書人2021年9月24日号


『本当の戦争の話をしよう』の訳者後書きで村上春樹は「本当の戦争の話というのは、戦争についての話ではないのだ。絶対に」という作中からの一文を引用しつつ、「痛切な」パラドックスが作品の核にあることを指摘した。すべてがベトナム戦争の響きと怒りと怖れのなかにあるティム・オブライエンの作品は、では同時に何についての文学なのか。その答えの、もっとも新しいひとつを提起したのが本書である。「まえがき」において著者野村幸輝はティム・オブライエンの文学を「戦争文学」とは呼ばず「平和文学」あるいは「生き抜くための文学」「生存者の文学」と呼ぶと述べている。そして、ティム・オブライエンには「物語る過程、あるいは想起すること自体を主題に据えたような作品」が特徴的にあることから、沈黙を強いるトラウマ状況のなかでなお言葉を探していく困難な過程そのものがオブライエン文学を生み出していると示唆する。

 全体は三部に分かれ、五つの章で構成される。それに著者自身によって行われた作家とのインタビューが巻末に加わる。第一部「ベトナム戦争」は第一章「ティム・オブライエン」からなり、作家の生い立ちからベトナム戦争出征、そしてその後の人生を扱い、発表された自伝的作品から読み取れる作家の内面の葛藤を丁寧に確認しつつ、それぞれの時代の政治、社会、文化の状況と関連させている。第二部「トラウマ」は第二章「記憶」と第三章「トラウマ」に分けて「記憶の洪水」や罪の意識など複数の視点から「登場人物が直面する心理的な荒廃を読み解く」試みである。第三部「平和文学」の第四章「語り」と第五章「技法」では「告発」「父親、息子、勇敢さ」「メタフィクション」などの方法・題材や「コントラスト」「シンボリズム」などの技法に着目し、ベトナムをめぐるさらに包括的な文学と歴史の文脈のなかへオブライエン作品を再配置しながら分析する。そして簡潔な「おわりに」の後で二〇一九年一二月に作家の自宅で行われたインタビューの翻訳が約二〇ページにわたって掲載される。これは本書の読者からすればいわば「第四部・証言」とでも標題を付けたくなる補遺である。著者は第四章「語り」のなかでオブライエン作品の特徴のひとつである「告白」は「語り手と読者とのあいだに密接な結びつきを形成し、読者を語り手の証人にする」と述べているが、本インタビューは著者自身が作家の言葉の「証人」となった体験記としても読むことができ、文学が相互に伝えうるものの深さを例証しているという意味でも印象的である。

 全編を通して、きわめて入念に、また注意深く論点が抽出され明快な議論が展開されていく。本書の特徴のひとつに、作品ごとの論考ではなくテーマを舳とする横断的・通時的な分析をしている点があるが、数多くの様々な領域の研究書、ベトナム戦争を題材とするたくさんの映画や小説、ノンフィクション、歴史書などが引用され、ベトナム戦争が今も発し続けている継続的な影響力の強さと多様さを重層的に描きだすことに成功している(「ベトナム戦争の文学の歴史は恥ずべき敗戦の事実を国民の記憶から取り払おうとするアメリカの精神史でもある」)。そしてティム・オブライエンという、いわば米国のひとつの定点としての作家の特異性を明らかにしようと夥しい数のインタビューを網羅し、作家の語りの声の細部にまでじっと耳を澄まし、真剣にその意味を解釈し続ける気魄は、本書のすべてのページから伝わってくる。作家自身が人生で繰り返し書いている言葉「私は憶病者だった。私はベトナムに行ったのだから」という根源的なダブルバインドに作家本人がどのように向き合おうとしているかについても、「ローン・レンジャー」や「ジョン・ウェイン」というアメリカ的勇敢さのアイコンと、ベトナム戦争を描写しようとする不可能性と沈黙との、埋まることのない落差から作家の言葉と物語が押し出されてくる様を、本書は使命感めいた粘り強さで繰り返し論じかけてくる。本書が紹介する引用のひとつに「繰り返し語ることだけが「それを正しく捉える」、つまりそれが意味を見出す方法だからである」とあるのをみずから実践するかのように。

 作品の特徴のひとつとして焦点化される「告白」は、原語がconfes-sionである。著者によれば「永く隠されてきた犯罪、秘密、罪の意識、臆病な心を明らかにする」ことである。ただ、英語ではキリスト教における告解という意味も含まれている。そう考えて本書を見直すと、宗教への言及がないことに気付かされる。「レイニー河で」に登場するロッジ管理人の老人が若き「オブライエン」にキリストはいるのだとぼそりと伝えたり、同作の最後で語り手が「神」や「神々」に言及していることなどを思えば、この作家にとっての宗教、あるいはその不在について論じた部分がないことに、不思議な欠落感を覚える。

 トニ・モリスンは、自分に才能があるとしたら極度に残酷なことから目を背けずに書き切る力があることだと述べていた。その意味ではティム・オブライエンも「憶病者」という言葉とは対極の、強靭な忍耐力を備えた勇敢な書き手である。その不屈の語る力の生身の手応えのような感触も、本書は浮かび上がらせている。(ながおか・しんご=福岡女子大学教授・アメリカ文学)

★のむら・こうき
=旭川大学准教授。ティム・オブライエンを中心に二〇世紀アメリカ文学を研究。一九六五年生。