1920年代の東京 高村光太郎、横光利一、堀辰雄
著 者:岡本勝人
出版社:左右社
ISBN13:978-4-86528-035-7

現在へと連なることばの崖線

この時代を問いなおすためのヒント、歴史解釈の可能性

栗原悠 / 早稲田大学国際文学館助教・日本近代文学
週刊読書人2021年10月1日号


 一九二〇年代は、それをどのような位置から眺めるのかによって全く異なった相貌を見せる。いつに対しても言えることだが、この時代にそうした傾向が著しいのは、二つの世界大戦の間という位置、首都周辺に激甚な被害をもたらした地震の発生、そして大正から昭和への改元といったいくつもの断層が存在するゆえだろう。必然、時代区分もさまざまにありうる。そのなかで『1920年代の東京』がほかならぬ「一九二〇年代」を採ったのは、そこに「現在と共時的に通底」し、「通時的に連続するもの」を見出すためであり、さらに思潮の衝突点たる「東京」への焦点化には、問題をより鮮やかに浮かび上がらせるねらいがあった。

 敢えて言えば、震災や改元、モダニズム文化・デモクラシーの爛熟と並行するきな臭い国家主義の台頭などに現在の似姿を求めること自体は、今日日ありふれた警句に過ぎず、さしてユニークな視点ではない。本書がそうした批判から免れているのは、ちょうどこの時代に生を享けた鮎川信夫や清岡卓行ら戦後に活躍する世代の詩人たちへと承継されてゆくことばのあり方に目を向け、さらにそれが現在に連綿と続く問題であると示し得たからだろう。本書はかようなコンセプトに沿って当時の創作者たちを並べていくのだが、とりわけ注目されるのはやはり副題に挙げられた、高村光太郎、横光利一、堀辰雄である。以下、この三人に関する部分に絞ってふれたい。

 高村にとっての一九二〇年代は、彫刻に打ち込む一方、智恵子との比較的穏やかな暮らしがあり、(数はそれほど多くないものの)『智恵子抄』に採られる詩が発表された充実期であった。同時に草野心平や宮澤賢治らとの交渉から自らのことばを精錬していくのもこの時期であった。長い活動期間のなかで多面性を具備した高村の芸術観を、そのような二〇年代を軸に捉え直す試みは説得力を持っている。他方、横光と堀は彫刻家/詩人として名を成した高村とは異なり、一般的には小説家・散文作家としての顔が最もよく知られていよう。創作の評価から言ってもそうした理解は誤りではなく、国内外の文学理論にも通暁した二人については、現在の研究の領域でもそうした側面に関する検討が積み重ねられている。それに対して本書は、「当時の小説を現在的に読むならば、小説家が詩人であったという事実から詩を学ぶこと」だと主張し、むしろ横光、堀における詩への意識を強調してみせる。横光の北川冬彦、宮澤賢治への高い評価や自身の句作実践、あるいは堀の『山繭』や『驢馬』、(三〇年代の)『四季』といった詩誌での活動は、もちろん文学史上の常識ではあるものの、そこから戦時の問題(翼賛体制への協力、日本的なものへの回帰)を経て、戦後へと架橋していく論の運びは示唆に富む。以上の三人は最も長く生きた高村ですら五六年に亡くなっており、戦後の空気をそれほど経験することはなかったが、本書は彼らの創作が持つ現代性を強い筆致で描き出している。

 このように、本書は全体を通じて一九二〇年代に走るさまざまな断層を人とことばのネットワークを巡らせることによって現在へと連なる崖線として読み替えていく試みとなっている。その一方、「やがてくる暗雲」としての三〇-四〇年代と対照させるためか、可能性の部分を前面に押し出そうとしたためか、二〇年代において既に露呈していた社会の暗部への論及は控え目な印象を受けた。当時を象徴するイメージとしてしばしば引かれる(また、本書カバー画でもある)「窓外の化粧」の過剰なまでの晴天さを、古賀春江は「蔭のない光」と自注しているが、著者もふれているようにそれはむしろ影の存在を雄弁に語り、高揚とともにある種の不安を搔き立てる。そうした面がもう少し深く掘り下げられることでより立体的な時代像を描くことが出来たのではないか。この点は惜しまれるものの、本書の視点にはこの時代を問いなおすためのヒントが多く含まれているのは間違いなく、改めて多様な歴史解釈の可能性に気づかされる。(くりはら・ゆたか=早稲田大学国際文学館助教・日本近代文学)

★おかもと・かつひと
=詩人・文芸評論家。評論集に『ノスタルジック・ポエジー 戦後の詩人たち』『「生きよ」という声 鮎川信夫のモダニズム』『詩的水平線 萩原朔太郎から小林秀雄と西脇順三郎』など。一九五四年生。