脱国家通貨の時代
著 者:西部忠
出版社:秀和システム
ISBN13:978-4-7980-6020-0

貨幣の〈多様化〉がもたらす新たな胎動

グローバル自由投資資本主義のその先へ

塚本恭章 / 愛知大学教員・経済学博士・社会経済学
週刊読書人2021年10月15日号


 二十一世紀という時代とその未来の長期的潮流のコアを〈脱国家通貨〉という一語で端的にフォーカスする本書は、現代における地域通貨や仮想通貨など民間通貨の多様化・群生化現象の意義と可能性を貨幣・通貨の人類史的進化論から多面的に読み解き、既存の貨幣・通貨像と資本主義論を刷新しようとする西部氏の最新の研究成果だ。

 市場・貨幣・資本主義という経済学の大地を骨太に問い直した、氏によるかつての『市場像の系譜学』(一九九六年)や『資本主義はどこへ向かうのか』(二〇一一年)、『貨幣という謎』(二〇一四年)などの単著につらなる現時点での集大成的な作品として本書は位置づけられ、当該分野に知的関心をもつ幅広い世代の最良の一書となるにちがいない。紙幅の都合上、以下では三つの論点に絞って評することとしよう。

 一つは、一国一通貨制の一国多通貨制への転換のインパクトに関わる。法定通貨としての中央銀行券の中央銀行発券独占と一国一通貨制は英国の一八四四年ピール条例に端を発しているが、「中央銀行制度はまだ一八〇年と歴史が浅く、つい最近の出来事だともいえます」と氏はいう。日本銀行の歴史も一四〇年にすぎない。一国一通貨制と国家通貨の一元化という事態が未来永劫におよんで存続するとはけっしていいえず、とくに一九八〇年代以降、仮想通貨やデジタル・コミュニティ通貨など法定通貨と「質」的に競合し合う多様な民間通貨が、ICTや先端テクノロジーを援用しながら出現してきている。現代は〈脱国家通貨〉を推進させうる貨幣イノベーションの時代なのである。

 では、それはどう推進されうるのか。市場や競争・知識、自由などについてすぐれた考察を重ねたオーストリア学派のハイエク『貨幣の脱国営化』(一九七六年)の本質と潜勢力を深く吟味する氏によれば、貨幣の「量」的競争(同じ度量単位での実質価値・発行量・金利)ではなく、複数の貨幣の「質」をめぐる独占的競争こそが「良貨は悪貨を駆逐する」という貨幣選択原理(撰銭原理)を発動させ(そのための諸条件あり)、それは貨幣の「量」的競争に付随する「悪貨は良貨を駆逐する」グレシャム法則を回避し、フリーバンキング論や国家通貨の単一性と中央銀行の発券独占を当然視するフリードマンのマネタリズムとも根源的に異なっている。主流派の新古典派ミクロ経済学の想定する「完全競争」を無競争とみなし、プロセス・イノベーションとプロダクツ・イノベーションが同時共存する「独占的競争」が描き出す自律分散型市場の特性を強調したのがハイエクであり、貨幣の創発的イノベーションの現代においては、「良貨=グッドマネー」となるべく新たな倫理や規範、信頼、共感、好奇心・興味関心など人生の複合的な価値と理念にかかわる、「貨幣の質をめぐる独占的競争が、消費者により良い品質の商品だけでなく、より良い品質の貨幣を選択する自由を与えてくれる」わけだ。こうした氏の一連の議論は、貨幣・金融の異次元緩和(QQE)を主軸にデフレ脱却をめざしたアベノミクスの失敗や現代貨幣理論(MMT)批判にも有効な視座をもつ。

 一次元的な価値評価を表す「スカラー貨幣」に対し、法定通貨と地域通貨の混成をつうじて価格表現する「ベクトル貨幣」という氏独自の名称を考案していることも、そうした文脈に関連してきわめて示唆に富んでいる。それは価値評価体系の多元性と複雑性をあらかじめ貨幣に内化させるものにほかならない。こうして多様な貨幣が許容し共存し合う一国多通貨制への転換は、新しい「生活の質」への転換をも含意する。なにをもって「良貨=グッドマネー」とみなすかは、人々が主体的かつ複眼的に〈発見〉していく手続きといえるだろう。

 二つめは、一九七〇年代以降のグローバリゼーション時代における現代貨幣(国家通貨と民間通貨)に共通しうる特質を、「観念貨幣(イデア貨幣)」ないし「象徴貨幣(トークン貨幣)」として把握することに関わっている。氏はこうした貨幣理解をつうじて、はじめて「21世紀の貨幣全体の課題が浮かび上がってきます」と主張している。

 氏によれば、不換中央銀行券である日本銀行券はいわゆる物品貨幣でも(MMTのいうところの)信用貨幣でもなく、「金融機関による日本銀行への現物出資に対する出資証券」であり、それが価値をもち各経済主体間において自己組織的かつ持続的な流通・循環をなしうるのは、「過去からの慣習ないし習慣の自己実現としての観念」および「未来への予想ないし期待の自己実現としての観念」という二方向をさす観念(idea)が連動・相反し合うことの帰結にほかならない。こうした氏の現代貨幣の特徴的理解がとりわけ有意義なのは、「内なる制度」としての貨幣の〈観念〉を変容させうることが、「外なる制度」としての貨幣(および市場や資本主義)の多様化・多態化を生み出し促進する実践的契機となるからだ。それゆえ民間通貨の持続的存続のためには、「法定通貨とは異なる認知・行動ルールにユーザーをうまく誘導する必要」があるわけだ。進化経済学の知見を活かし、制度生態系(エコシステム)として貨幣の多様性・多態性論を位置づけうる。

 したがってまた、貨幣・通貨概念そのものを多面的に拡張し、それを「コミュニケーション・メディア(媒体)」と捉え直すことで、貨幣的側面(経済メディア)にとどまらない言語的側面(文化・社会・倫理メディア)をも明示的に組み込んだ統合的コミュニケーション・メディアとしてのコミュニティ通貨(地域通貨)のあり方とそのポテンシャルをより広く深く理解できることとなる。氏によれば、コミュニティ通貨は市場の「交換原理」や国家の「再分配原理」とも異なる〈互酬的交換〉原理にもとづく媒体であり、資本主義の「ペイ・バック(恩返し)」というより「ペイ・フォワード(恩送り)」こそ、その神髄を表明している。貨幣の情報化・サービス化(脱モノ化)と有機的に連動し合いながら、貨幣の脱国家化と民営化は進展してきたが、貨幣の情報化の真のインパクトは「貨幣が表現・伝達する情報の質が多様化していくところにある」のであり、その意味でも、コミュニティ通貨はいわばグローカルな複合観念貨幣の先駆といえるだろう。

 現代のグローバリゼーションの究極的形態は無際限の資本増殖と万人が投資家・資本家たることを奨励する、氏のいう「自由投資資本主義」だ。それはスカラー貨幣による一元化評価とあらゆる領域への利潤原理(市場の内部化)の貫徹(侵食)をつうじ、伝統や慣習・規範、コミュニティを解体し、倫理を衰退させる。グローバル自由投資資本主義と「市場の内包的深化」のもたらす深刻なおぞましさをどう克服しのりこえていけるか、これこそ既述の二つと重なり合う三つめの論点をなす。氏のいうように、「貨幣を変えれば市場が変わる」ならば、「資本主義も変わりうる」はずだ。新たな経済社会のオルタナティブの構築は実際のところ、「未来の変化の豊かな可能性に対する人々のしなやかな鋭敏性」と「人々の主体的な意思決定の頑健な持続性」に大きくかかっているといえないだろうか。現代貨幣の観念を多元的に変容させ、多様な貨幣が共存し合う世界への転換は、われわれのヴィジョンとアクションで実現していくものなのだから。

 西部氏の研究スタンスの骨太さと問題関心の先端さは、評者が氏の著作にはじめて接して以降もきわめて特徴的であり、貨幣と通貨をめぐる本書の考察は啓発的かつ「論争」的な内容をも含んでいる。そしてそれこそ社会「科学」という学問のイノベーションに欠かせない。著者独自の広い視野と深い思索が貫き流れる魅力的な作品だ。(つかもと・やすあき=愛知大学教員・経済学博士・社会経済学)

★にしべ・まこと
=専修大学経済学部教授・北海道大学名誉教授・経済学。進化経済学会前会長、専修大学デジタル‐コミュニティ通貨コンソーシアムラボラトリー(グッドマネーラボ)代表理事。著書に『貨幣という謎』など。一九六二年生。