見出された縄文の母系制と月の文化 〈縄文の鏡〉が照らす未来社会の像
著 者:高良留美子
出版社:言叢社
ISBN13:978-4-86209-083-6

多彩かつ深遠な眼差し

全六部からなる類例のない大著

竹倉史人 / 人類学者
週刊読書人2021年10月29日号


 愛と美をつかさどるギリシア神話の女神、アプロディーテー。かつて大地に関わる豊饒の女神であった彼女の出自は、時代が下ると天空神ウーラノスの切り落とされた男根にまとわりつく白い泡から生まれたという誕生譚にすり替わっていた。ウーラノスには地母神ガイアという母にして配偶者がいたにも拘らず、父の身体の一部から美しい娘が誕生するというこの神話は、生命の系統を維持するのにもはや女性の介在は不要であり、美を生み養うものは父性であるという、男性の嫉妬と願望を見事に結実させた逸話といえる。そしてここには既に、その後の文明社会における女性の地位の没落が予言されていたのである。

 婦人運動家の高良とみを母に持ち、女性史研究者であり、そして何より詩人である著者は、硬質でありながらもしなやかな筆致で、この類例のない大著を完成させた。全六部からなる本書は、一言で「女性史の本」と分類することが憚られるほど、多彩かつ深遠な眼差しによって構成されている。

 著者自身の少女時代の「戸惑い」の表白から始まる第一部では、高群逸枝の母系制の研究を軸に、これまでの女性史研究のヒストリーが過不足なくまとめられている。後半で後期旧石器時代へと一気に年代が掘り下げられると、第二部では著者の眼差しは縄文時代へと向かう。茨城県の中妻遺跡から出土した一〇〇体近い縄文人骨のDNA分析により、当該社会が母系に傾斜した集団であったとする考古研究の成果を紹介し、さらに第三部にかけて民族学者・岡正雄の種族文化複合論を援用しつつ、『記紀』『常陸国風土記』『万葉集』などの上代文学研究を参照して、先史時代の関東東南部に母系制が存在していたであろうことが丁寧に推認されていく。こうした記述の中にネリー・ナウマンに代表される井戸尻考古館系のアプローチ、すなわちシンボリズムや民族事例から縄文土器や土偶の形象を読み解いていくという方法論が散見されるが、こうした〝深読み〟にどれだけの説得力があるかは読者によって意見が分かれるところであろう。とはいえ、従来の文献研究だけでは限界があった古代社会の親族構造について、考古学による縄文研究の成果を巻き込みつつ、こうした学際的なアプローチで厚みある考察が重ねられた点は大いに評価されるべきであるし、著者が目指す高群逸枝の「復権」は十分に成功したものに感じられた。

 第三部続篇では、縄文文化を色濃く継承するといわれる北日本のアイヌ民族について、第四部では北九州の弥生人に焦点が移動していく。一五〇〇基以上の甕棺、四〇〇個体以上の人骨が出土した福岡県の隅・西小田遺跡の墓域からも、やはり母系の痕跡が見つかっているという。その一方で、男性の手による開墾・土木工事を要する灌漑水田稲作が本格化した弥生時代には、祭祀の対象が月神から太陽神へ、あるいは女性的な地母神から男性的な天空神へと遷移し、耕地や水利をめぐって争いが頻発する男性中心の社会が興隆していく時期であったことが描出されている。第五部では縄文文化が持つ世界史的な重要性が説かれ、第六部にてこの古代文化の記憶というリソースが、共産主義と資本主義を止揚した〈共〉を基調とする未来社会の創出に活用されるべきであることが訴えられる。浩瀚な本書を貫いて展開される文明論的な視座には刮目すべきものがあり、私は一人の男性読者として、将来的に日本の民法における父系・父権的な制度が廃棄されるべきだという著者の主張に対しても全面的に同意するに至った。

 さて、冒頭に触れた「母なしで生まれる」アプロディーテーの誕生譚は、人類史の最古層にみられる「父なしで産む」大母神の圧倒的な力に対する、男性側からの懸命な「巻き返し」であったのかも知れない。思えばわれわれも同じような「不正な神話」に慣れ親しんでいる。この美しい国土はイザナミとイザナギとの交わりによって「正しく」産まれているにも拘らず、アマテラスはイザナギの左目、すなわち父の身体の一部から「母なし」で誕生しているのだから。男性によって太陽神にまつりあげられたアマテラスは、「若くて美しい日本の祖神」としてアイドル化する一方で、母なるイザナミはいまなお冥府に幽閉されたままである。呪詛に悶え、腐海に身をやつすイザナミの救出こそが今後の日本社会の発展の鍵であるとすれば、著者が渾身の力で放った本書が、その大きな援護の一撃となることは間違いないだろう。(たけくら・ふみと=人類学者)
 
★こうら・るみこ
=詩人・評論家・作家・女性史研究者。著書に『百年の跫音』『高良留美子の思想世界』など。一九三二年生。